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海水試料の採取(採水)
北海道大学水産学部おしょろ丸海洋調査部 今井圭理、小熊健治、澤田光希
海水はそのほとんどが水(H2O)であり、様々な物質がイオン、コロイド、気体、粒状態などの形で混じりあって構成されています。海水中に溶けている主要な成分は塩化ナトリウムをはじめとした無機塩類のイオンで、海水中の約3.5%(重量比)に相当し、一般に「塩分」と呼ばれるものです。この主要成分の多くは塩素(Cl-)、ナトリウム(Na+)、硫酸(SO42-)、マグネシウム(Mg2+)、カルシウム(Ca2+)、カリウム(K+)が占め、各イオンの濃度や存在比はほぼ一定です。一方、その存在比はわずかですが、無機塩類の中には「栄養塩類」と呼ばれる植物プランクトンの成長に利用される窒素(N)、リン(P)、ケイ素(Si)からなる化合物が含まれています。その他、窒素(N2)、酸素(O2)、二酸化炭素(CO2)といった「気体成分」、たんぱく質や脂質などの「有機化合物」、ごく微量に存在する鉄(Fe)などの「微量元素」が海水中に溶け込んでいます。さらに、海水の中には、細菌などの微小生物やそれらの遺骸、鉱物粒子といった、溶け込んでいない状態の物質も含まれています。
図1 海水の組成
海水を構成する各成分は、海水の移動・混合、海水中で起こっている生物的・化学的な反応、季節あるいは地球環境変化にともなってわずかながら常に変化しています。それらの時空間的な変動を把握することで、海洋で起こっている諸現象を明らにすることが出来ます。海水成分の各項目を測定するためには海水試料を採取する必要があります。海水試料を採取することを「採水」といい、水面下の海水を他の層と混じることなく採取する方法は海洋観測技術の発展と共に進化してきたと言えます。ここではいくつかの採水方法について紹介していきます。
海水試料の採水方法は、表面の海水をすくい上げる「バケツ採水」、船の船底に装備されたポンプを利用して連続的に表面の海水を汲み上げる「ポンプ採水」、採水器という器具を使って水面下の海水を採取する「採水器による各層採水」に大別されます。分析技術の発達は、海水中に含まれる微量成分の検出を可能にしました。このことで、海水成分のわずかな違いや、海水中に微量にしか存在しない元素の量を精度よく測定するために採水方法にも工夫が施されてきました。特に近年、海水中の微量元素の分布が、海洋における生物活動の動態を明らかにするカギとして注目されて以来、海水試料のサンプリング過程で生じうる試料の汚染を可能な限り低減させて採水する手法が提唱されました。この手法は「クリーン採水」とよばれ、採水器の形状が改良されると共に採水器の取り扱いに関する注意事項が確立されました。
船舶を利用して採水を行い、海水分析によって情報を得るには非常に多くの時間や労力が費やされます。そこで、いくつかの特性(塩分、水温、溶存酸素濃度、pHなど)についてはそれらを計測する水中センサが開発され、現場(海の中)で直接的かつ連続的に計測されるようになりました。しかし、未だ、センサの開発の無い分析項目や、センサでは得られない高精度な情報を得るために海水試料を分析する方法がとられています。
ポンプ採水
ポンプを用いることで、表層の海水を連続的に採取することができます。
船内実験室や研究上必要な場所へ供給されている海水は「研究用海水」と呼ばれ、船舶のエンジン冷却・船体の洗浄・サニタリーなどに用いられる「雑用海水」とは船底の海水取水口・汲み上げポンプ・船内配管が区別されています。また、研究用海水の取入れに使用するポンプや配管には液質変化を抑えるためのいくつかの配慮がなされています。雑用海水は配管への生物付着防止のために海水取入れ時に薬物投入や海水電気分解による微生物の死滅作用により水質を変化させていますが、研究用海水は極力海水の成分を変化させることなく取水されます。そのため配管内の腐食を抑えるため内壁を樹脂加工したパイプが使用され、定期的に配管内に沈着した汚れを取り除くための配管洗浄を行います。こうして汲み上げられる「研究用海水」は船舶の航行状態や天候条件に関わらず、航海中は常時採水することができるので、表層海水モニタリングシステム(図3)への給水によって航路上の海表面の情報(水温・塩分など)を継続して計測および記録することが出来ます(図4)。
図3 おしょろ丸(北海道大学)の表層モニタリングシステムの計測部
表層モニタリングシステムは各種センサが備わった表面海水で満たされる容器の計測部と取得されたデータを収録あるいは各種要所へのデータ配信を行う制御部が組み合わされたシステムです。計測部は研究室のシンク際に設置され、研究用海水が常時供給されています。タンクの中は海水が確実に満たされた状態になっており、その中に差し込んだ2本の水中センサで水温・塩分・クロロフィル・濁度をそれぞれ計測します。タンクの下部から研究用海水を供給して上部から溢れ出させ、センサ値の異常の原因となる気泡が発生しにくい設計となっています。また、光学式センサ(クロロフィル・濁度)に影響を与えないよう、タンクは遮光性および不反射性の材料で作られています。計測部が取得した情報は、センサにつながれたケーブルを介してデータ収録用PCに保存されるとともに、専用のソフトウェアで逐次表示されます。
図4 表層モニタリングシステムで観測された海面水温(SST: Sea Surface Temperature)
一方、船底汲み上げ方式によって採取される海水は船体や配管から溶出する金属元素を含むので海水中の微量金属元素の分析を目的とする試水には利用できません。そこで、船体からの汚染の少ない海水を連続的に広範囲にわたって採水するために曳航体を用いた手法が用いられます。
ブーム(張出棒)を用いて船体から離れた位置に曳航体を下ろして船を航行させ、曳航体の先端から海水を船上に汲み上げます。こうすることで船体とは接触の無い海水試料を採取することが出来ます(図5)。
図5 曳航体採水概念図
採水器による各層採水
海中の任意の深さから海水を採取することを各層採水といい、そのために用いられる器具を採水器といいます。これは、蓋の開いた状態でワイヤロープに取り付け、目的の深度まで下ろしてから蓋を閉めることでその場の海水を採取するものです。メッセンジャーと呼ばれる錘をワイヤロープに沿わせて船上から落下させ、これが採水器のトリガーを作動させることによって蓋が閉まります(図6)。
図6 メッセンジャーによる採水
任意の間隔を空けて複数の採水器をワイヤロープに連装させれば、一度の作業で複数の異なる深度から海水を採取することができます。メッセンジャーがトリガーを作動させると、直ちに下層に向けて次のメッセンジャーが落下し始めるため、上層の採水器から下層の採水器にむけて次々と蓋が閉じていきます(図7)。
図7 採水器の連装による多層採水
a) 複数の採水器を任意の間隔でワイヤロープに取り付け、海中に降下させます。 b)それぞれの採水器は蓋を開けた状態にしておき、トリガーからメッセンジャーをぶら下げておきます。 c)上層からメッセンジャーが到達すると採水器の蓋が閉じ、それと同時に下層に向けてメッセンジャーが落下しはじめます。
採水器は時代と共にいくつかの種類が考案されてきましたが、海水を貯める「採水筒」と採水筒を閉じる「蓋」とからなるという点で基本構造に変わりはありません。
20世紀初頭から広く普及した採水器として、金属(黄銅)製のナンセン転倒採水器(Nansen bottle)がよく知られています。これは、採水器を転倒させることによって上下のバルブが閉まる機構を持つもので、転倒温度計※と併用することで採水深度とその場の水温を同時に計測できることから、海洋観測の現場で広く用いられました。20世紀の終盤に入ると、分析項目の多様化や分析精度の向上が進むにつれ、採水手法にも改良が求められるようになります。そのため、金属(黄銅)製の為に重たいうえ、採取できる海水の容量が限られていたナンセン採水器は、新しいタイプの採水器に取って代わられるようになります。現在、もっとも広く利用されているのがニスキン採水器(Niskin bottle)で、これは採水筒、蓋ともに塩化ビニル製でサイズバリエーションも1.2~30Lと豊富です(図8)。