Topic outline
国際動物命名規約について
第 1 章で,分類学の重要な目的に,種やグループに名前(学名)をつけることがあると述べた。学名は生物学に関わる人にとって世界共通の言語である。どのような言葉を使う人であっても,学名を見ればどの種・グループを指しているかが明確に理解できる。当該分類群の専門家でなければ学名を調べるのに時間がかかる場合もあるだろうが,英語と同じアルファベットで書かれているので,見たことも聞いたこともないような言語で書かれた現地名よりははるかに調べやすい。
日本人なら通常は日本語の名前,すなわち和名を使って書いたり話したりするが,世界的に見ると,和名は日本という一地域で使われている地方名といえる。同様に,英語で名前を表すと英名となる。英語を公用語とする国は多いが,それでもすべての国ではない。生物に対して世界的な共通認識を得るため,研究分野では学名を使用するのである。
生物は法律に従って命名されている?
ところで,分類学では法律に従って生物に命名していると言えば驚かれるだろうか。ただし学名のための法律なので,私たちの生活に密接に関係している憲法や民法などとは違う。
動物の命名行為に関する法律書として動物命名法国際審議会(International Commission on Zoological Nomenclature,以下「審議会」)が著した『国際動物命名規約(International Code of Zoological Nomenclature)』という出版物がある(図 3.1)。他にも,植物に対する『国際藻類・菌類・植物命名規約』と,原核生物に対する『国際原核生物命名規約』があるが,3 つの命名規約は互いに独立しており,干渉しあっていない。
現在有効な国際動物命名規約(以下「規約」)は 1999 年に出版された第 4 版で,2000 年1 月 1 日に発効した。これに 2003 年,2012 年,および 2017 年に部分的な改正が加えられ,現在に至っている。
規約の話は一般の方にとっては専門的すぎたり,理解しにくかったり,興味がなかったりするかもしれないが,命名は分類学の重要な目的の一つであるため,魚類分類学をテーマとする本書としてはどうしても規約を無視することができず,1 章分を使って紹介することにした。しばらくおつき合いいただければと思う。
図2.1 国際動物命名規約(第4版)の原本(左)と日本語版(右)
規約の目的
規約の目的は,前文に次のように書かれている。すなわち,「動物の学名における安定性と普遍性を推進することと,各タクソンの学名が唯一かつ独自であることを保証すること」である。そして「それら最終目的を遂げるため」に90 の条(Article)と関連する勧告(Recommendation)がある。
条は命名行為などに関するルールを細かく取り決めており,強制力を持つ。従わなくても罰せられることはないが,規約を十分理解せずに論文を書くと「(分類学者としては)未熟者」と言われて恥をかくことになるだろうし,ひどい場合は,せっかく新種の論文を書いてもその学名はなかったものにされることもある。
勧告には絶対的な強制力はないが,可能な限り従うべきである。条と勧告の他,規約の末尾には用語集,付録,動物命名法国際審議会規則などがあり,付録は倫理規定と一般勧告に分けられる。
規約は交通ルールのようなもの
このように,規約には強制力のある条と勧告があると聞くと,「分類学はずいぶん窮屈で面倒だなあ」と感じる人もいるかもしれない。しかし,規約は命名に関する混乱を避けるため,どうしても必要なものである。
規約はいろいろなルールを設けているが,あくまで命名行為に関する手続きを定めているだけで,分類学者の研究の自由を規制するものではない。実際,規約の前文には「条項と勧告のすべては……分類学上の思考や行為の自由を束縛するものではない」と明記されている。
分類学と規約を自動車の運転と交通ルールに例えて考えるとわかりやすいかもしれない。私たちは公道で自動車やオートバイを運転する際,標識などに注意しつつ,速度を変えたり,一方通行に従ったり,駐停車可能な場所を探したり,信号を守ったりしている。これらのルールがなく,人々が自分勝手に運転を始めたら,交通はたちどころに麻痺してしまい,身動きが取れなくなってしまうだろう。一方,いつ,どこに,誰と,なんのために行くかなどの個人の目的や予定については,交通ルールはまったく影響力を持たない。規約もこれと同じようなものだと理解してもらえればと思う。
規約の原本は英語版とフランス語版が一冊にまとめられており,英語版は審議会のホームページ(https://www.iczn.org/the-code/the-international-code-of-zoological-nomenclature/the-code-online)で閲覧できる。また,これを翻訳した日本語版も日本分類学会連合から出版されており,こちらも審議会によって原本と等しい効力を持つ正文として正式に認定されている。他にもスペイン語,ドイツ語,ロシア語,中国語,ギリシャ語版があり,合計 8 つの言語で著されている(ギリシャ語は序文のみ)。
2005 年に出版された日本語版は在庫切れとなっているが(2020 年 7 月現在),日本分類学会連合のホームページ(http://ujssb.org/iczn)から PDF を無料ダウンロードできる。興味がある方は入手してみてはいかがだろうか。