Topic outline
学名の表しかた
ここからは,規約の基本的な内容について紹介したい。
学名と聞くと種に与えられた正式な名前と考える人がいると思う。もちろん間違いではないが,種だけでなく属や科にも学名がある。基本的に規約が規制する学名は,種階級群(species group,種と亜種を含む),属階級群(genus group,属と亜属),そして科階級群(family group,族,亜族,科,亜科,上科など)に対してであるが,科階級群より高位の分類群も一部の条で規制している。
リンネの二語名法
種に対する学名(種名)については,すでに第 1 章で Pagrus major(マダイ)を例として少し紹介したが,属名と種小名の 2 つの名前で構成される。このやりかたを二語名法(二名法ともいう)といい,この規約上の大原則は「二語名法の原理」と呼ばれる。また,このように表される種の学名を二語名(binominal name)ともいう。
この表記方法を考案したのはスウェーデンの博物学者カール・リンネ(Carl von Linné,ラテン語表記では Carolus Linnaeus)である。リンネは 1753 年に『植物の種(Species Plantarum)』の第 1 版を著し,このなかで初めて二語名法を採用した。タイトルのとおり,この本は植物について書かれたものである。さらに,リンネは 1758 年に『自然の体系(Systema Naturae)』の第 10 版を著し,二語名を使って動物や植物などを紹介した。図2.2 リンネが1758年に著した「自然の体系」第10版(北海道大学附属図書館所蔵)
なお,スウェーデンの昆虫・クモ学者のカール・クレック(Carl A. Clerck)は『自然の体系』第 10 版の出版に先駆け,1757 年に『スウェーデンのクモ類(スウェーデン語で Svenska Spindlar,ラテン語で Aranei Sveciei)』を著した。この著作物はリンネの校閲を受けており,ここでも二語名法が採用されている。規約では『自然の体系』第 10 版と『スウェーデンのクモ類』は 1758 年 1 月 1 日に出版されたものとして扱われている。したがって,両出版物で新種として紹介された学名の公表日も 1758 年 1 月 1 日と見なされる。
二語名は「姓」と「名」?
18 世紀に考案された二語名法が現在も用いられているのは,この方法が簡便かつ体系的で,多くの種の学名を表現するのに適しているからだろう。
二語名法が考案されるまでは,ある生物の名前を一語の学名で表し,それと類似する種がいる場合は区別できる特徴を学名に加えていくという方法をとっていた。したがって,近似種が多いと,2 語,3 語,4 語と学名は長くなる。これでは名前としては破綻しているといってよい。
二語名は人の「姓」(名字)と「名」(下の名前)に置き換えると理解しやすい。私の場合は姓が「今村」である。妻も子供も「今村」だし,母と父も「今村」だから,姓だけだと私を他の家族から区別できない。しかし下の名前の「央」を加えると,家族のなかでは私を特定することができる。
もちろん,日本中には私と親戚関係にない「今村」さんが大勢いる。しかし,動物分類の世界では規約によって,一家族以外に同じ姓(=属名)を持つことはできないし,同一家族のなかでは同じ下の名前(=種小名)をつけることもできない(後者は人間もやっていないだろうが)。つまり,違う種や属(科も)の同名は認められていないのである(同名については後述する)。
あまりに多くの動物種があるために,二語名法だけでは不完全だが,規約で制限を加えることにより,動物の名称を唯一無二,つまり一つの学名を一つの動物のみの名前とすることができるのである。
学名はラテン語のアルファベット26文字で
学名(科階級群名も含む)はラテン語のアルファベット 26 文字で表すことになっているが,英語のそれと同じなので,とくに困ることはない。この 26 文字以外の,たとえばアポストロフィー(’)のような記号や,a と e を連結したæのような合字は使わない。しかし例外的に,ハイフン(-)を用いる場合がある。
種小名の先頭要素がその分類群の形質を示すために使用されるラテン語 1 文字であるなら,規約によって,先頭のアルファベット 1 文字と残りの部分はハイフンで連結する。魚の例では,ミシマオコゼ科の Astroscopus y-graecum がある。種小名の意味は「ギリシャ語の Y 文字」だが,本種の原記載(original description,新種として公表されたときに書かれた種の特徴に関する文章のこと)には,頭部背面の骨質隆起が Y 文字状(y ではなく Y と書かれている)を呈するとされており,これがこの名前の由来と考えられる。研究者によっては種小名は ygraecum とハイフンなしで表記すべきと考える人もいるが,先頭の y は本種の形質を示すため,規約に照らすとハイフンでつないで y-graecum とするのが妥当だろう。
種や属の学名は斜字体で
学名はラテン語アルファベットを使用するが,語源はラテン語である必要はなく,自由につくることができる。単語として使用するのであれば,任意の文字の組み合わせでもかまわない。たとえば,アシロ科の Sirembo wami という種の種小名は,西オーストラリア博物館(Western Australian Museum)のアクロニム(頭字語)の WAM に由来している。本種の学名の基準となる標本(ホロタイプという。後ほど説明する)はこの博物館に所蔵されており,これに因んだものと思われる。
属名は頭文字を大文字とし,複数文字,つまり 2 文字以上で表す。魚類では 2 文字の属名にフリソデウオ科の Zu(ユキフリソデウオ属)がある。種小名も 2 文字以上だが,こちらは頭文字は小文字である。そのため,前述の種小名 y-graecum は,大文字の「Y」に因んだ学名であっても,Y-graecum とはできないのである。
図2.3 ユキフリソデウオ(京都大学舞鶴水産実験所所蔵標本。写真提供:同実験所)
また,両者とも斜字体(イタリック体)で表現される。そのため,論文などのなかに種や属の学名がでてきたときは他の単語に埋没せず,一目で識別することができる。ただし,これらの斜字体での表記は条で規定されているわけではなく,規約の末尾の付録中にある一般勧告に「地の文に使われているのと異なる字体(フォント)で印刷されるべき」で,「通常,斜字で印刷される」と書かれている。
著作物のなかには,あまり一般的ではないが,たとえば図のキャプション(説明文)が斜字体で書かれており,種や属の学名を斜字体ではなく通常の直立した字体(ローマン体)で表すものもある。種や属の学名の斜字体表記が義務ではないので,学名を地の文に埋没させないために,このような表記も規約的には可能なのである。
属名は主格単数形の名詞で,男性,女性,中性の区別がある。そして種小名にラテン語の主格単数形の形容詞や分詞を用いる場合は,これらを属名の性(gender)に文法的に一致させる。英単語には性がないのでわかりにくいかもしれないが,ラテン語,ドイツ語,ロシア語などの言語では,名詞に性があり,修飾する形容詞も名詞の性にあわせて変化する。たとえば,マサバという種の学名は Scomber japonicus だが,属名の Scomber はラテン語の男性名詞(サバの意味)なので,種小名は男性形の japonicus(ラテン語式に造語された形容詞で「日本の」の意味)となる。もし属名の性が女性や中性だったら,それぞれに女性形の japonica や中性形の japonicum を連結させる。
図2.4 マサバ(北海道大学総合博物館所蔵標本。写真提供:同博物館)
人物名をつけたり,属名を省略したり
先ほども紹介したように,マサバの学名は Scomber japonicus だが,この学名の後に人物名をつけて Scomber japonicus Houttuyn と表す場合もあるし,さらに数字を付けて Scomber japonicus Houttuyn, 1782 とすることもある。 Houttuyn とは本種の命名者,オランダの医師であり博物学者でもあるマールテン・ハウトイン(Maarten Houttuyn)のことで,1782 は彼が本種を命名した年,つまりこの学名が初めて登場した著作物が公表された年を表す(規約では date(日本語版では日付)と表記されるが,理解のしやすさから本文では公表年と呼ぶ)。命名者(出版物を著した人でもあるので著者(author)ともいう。規約日本語版のなかではこちらを用いている)と公表年は学名の一部ではないが,規約の勧告によって著作物中で少なくとも 1 回は引用すべきとされている。
また,属名は種の学名が初めて出てきたときは省略すべきではないが,2 度目以降は S. japonicus のように省略してもかまわない。しかし,たとえば同じページにカサゴの仲間の Sebastes(メバル属)に関する記述があると,S. japonicus では属名が Scomber なのか Sebastes なのかわからない。そんなときは Sc. japonicus のように 2 文字目まで書くなどして区別できるようにする。
著者と公表年を()でくくると
シシャモの学名(と著者と公表年)は Spirinchus lanceolatus (Hikita, 1913) である。ここでいうシシャモとは,北海道太平洋岸に生息する,いわゆる「本ししゃも」のことである。スーパーなどで安価で出回っているのは北太平洋や北大西洋などに分布するカラフトシシャモという別種である。
上述のマサバと異なり,著者と公表年が丸括弧でくくられている。この丸括弧は,公表されたときは別の属に含められていたことを意味する。本種の場合は,疋田豊治博士によって公表されたときは Osmerus(キュウリウオ属)という属に含められていたが,現在では Spirinchus(シシャモ属)になっている。
図2.5 シシャモ(北海道大学総合博物館所蔵標本。写真提供:同博物館)
図2.6 マサバとシシャモの学名。種の学名は属名と種小名で表す二語名で,その後ろに著者名と公表年を加える場合もある。著者名と公表年は学名の一部ではない。
接尾辞でわかる科階級群
科階級群の学名は基準となる属名があり(タイプ属という。後述する),そこから形成される。基準となる属名は,実際にある属の学名として使われているもの(あとで説明する用語を使うと「有効名」)であればどれでもよく,最初に科階級群を設立する人の裁量に委ねられる。ただし勧告として,可能な限り有名で,その科階級群を代表する属を選ぶべきとされている。
たとえばコチ科の場合は,Platycephalus(コチ属)が基準(タイプ属)となっており,この属名の語幹である Platycephal- から Platycephalidae が形成されている。科階級群の学名も属名と同様に頭文字は大文字で表すが,斜字体とはしない。最後に -idae がついているが,これは科の接尾辞として規約で定められているもので,他にも族なら -ini,亜族なら -ina,亜科なら -inae,上科なら -oidea と決められている。したがって,それが理解できていれば,接尾辞を見るだけでどの科階級群であるかが判断できるのである。