札幌農学校のいわゆる「お雇い外国人教師」であったジョン・カッター(John C. Cutter)は,1878 年(明治 11)から 1887 年(明治 20)までの間,動物学や獣医学などを担当していた。動物学は 3 年生の第 1 学期(1~6 月)に毎週 3 時間割り当てられていたが,1880 年(明治 13)から 6 時間に増やし,そのうちの 3 時間を水産学に当てたのである。内容は,重要食用魚の生活史,摂餌,人工孵化などの諸問題であったという。カッターの講義は,東京大学農学部の源流である東京農林学校の簡易水産科や,東京海洋大学の母体のひとつである大日本水産会水産伝習所の設立よりも早く(どちらも 1888 年(明治 21)に設立),これが日本の水産学教育の事始めとなった。
そして 1880 年に初めてカッターの講義を受けた学生のなかに内村がいた。彼は在学中からアワビの発生に関する研究に取り組み,1881 年(明治 14)7 月に行われた第二回卒業式では「漁業モ亦学術ノ一ナリ」の演説を行ったのである。
内村は分類学に関連する業績も残している。卒業後,開拓使を経て農商務省農務局水産課(御用掛)勤務となり,
1884 年(明治
17)に『日本魚類目録(
Catalogue of Japanese Fishes)』を作成した。残念ながら未公表となったものの,
5 亜綱
7 目
77 科
341 属
640 種が二語名法で表されており,日本人による初めての体系的な魚類目録となった。そこには和名の他,一部魚類には英名,ドイツ語名,アイヌ名も併記されている。