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海洋生態系の底辺を支えている植物・動物プランクトンだが,北極域の最近の急激な気候変動が,プランクトンに劇的な影響を与えることが懸念されている。ここでは,私が興味を持って研究を進めてきたことを中心に解説する。
近年の急激な海氷の衰退によって海洋環境が劇的に変わると,世代時間の短いプランクトン群集にまず変化が起こると考えられる。太平洋側北極海は北極海のなかで最も海氷の衰退が著しい海域で,ここのプランクトン群集に起こる変化を正確に評価することは,今後の北極海の生態系に起こりうる変化を予測する上でたいへん重要である。しかし,北極海とひとくちに言っても,広大な面積を持つ上に,海域ごとに特性が異なることがわかっている。
太平洋側北極海は水深が約50m の浅い陸棚域(チャクチ海)と,深い(> 3000m)海盆域(カナダ海盆域)によって構成されている(図4.1)。
図4.1 太平洋側北極海の物理学的特徴。水深が50m程度と浅い陸棚域と,3000mを超える海盆域がある。太平洋側からは,異なる性質を持つ3つの海流がある。また,陸棚域と海盆域の間の斜面域では,渦が頻繁に形成される。
◇ 陸棚域
陸棚域にはベーリング海峡を通過して北極海に流入する太平洋水が存在している(Coachman and Aagaard, 1966)。この太平洋水には3 タイプあり,東西で流れる海流の性質が異なる。東側(アラスカ側)を流れているAlaskan Coastal Water は,水温が高く,塩分が低く,栄養塩が低い海水である。一方,西側を流れるAnadyr Water は,水温が低く,塩分が高く,栄養塩が高い。さらに,2つの海流に挟まれて流れるBering Shelf Water は,それらの中間の性質を持っている。
この3 種類の太平洋水(とくにAnadyrWater)によって栄養塩が北極海に運ばれており,チャクチ海への栄養塩の供給源として重要である(Springer and McRoy,1993)。さらに,無数のプランクトンも海流によって運ばれている。しかも,3 種類の海流ごとに存在するプランクトンの種類が異なることがわかっている(Hopcroft et al., 2010; Matsuno et al., 2011, 2012 a)。そのため,3 つの海流が流れ込むベーリング海峡周辺では,水温,塩分,栄養塩に加え,動物プランクトン組成も東西で複雑に変化する。また,この海域は,太平洋水による恒常的な栄養塩の供給により一次生産量が多く,沈降粒子量も多いため,豊富なベントス群集が形成されている(Grebmeier et al., 1989)(図4.2)。
図4.2 太平洋側北極海におけるプランクトンの空間分布。陸棚域では,植物プランクトンによる一次生産が高く,ベントス幼生が多く見られる。また,太平洋水によって運ばれてくる太平洋産種も出現する。陸棚域から海盆域へ移ると,生物密度が薄くなり,出現する種類も変わる。海盆域では,水深ごとにカイアシ類の種が変化する。
◇ 海盆域
一方,海盆域では低塩分な海氷融解水が表層に存在するため,塩分躍層が強固に発達しており,湧昇などによる深海から表層への栄養塩の供給は,陸棚斜面域を除いてほとんど見られない。陸棚域を通過してきた高塩分な太平洋水は密度が高いため海氷融解水の下に沈み込み(Codispoti et al., 2005),亜表層に小規模なクロロフィルαのピーク(< 1 µg chl.α/L)を形成する(Hill and Cota,2005)。
海盆域では一次生産量が少ないために動物プランクトン現存量も少ないことが知られている(Lane et al., 2008; Matsuno et al., 2012 b)。出現する動物プランクトンの種類は鉛直的に変化し,表層では粒子食性種が多いが,深層になると肉食性種やデトライタス食性種が多くなる(図4.2)。また,バロー渓谷付近の陸棚斜面域ではしばしば高気圧性渦が形成され,栄養塩をより高緯度へ輸送し,渦内では植物プランクトンによる一次生産量が増加することも報告されている(Nishino et al., 2011)。
このように,同じ太平洋側北極海内でも陸棚域と海盆域で海洋環境は大きく異なっているため,海氷の衰退が海洋生態系に与える影響を正確に評価するには,陸棚域と海盆域それぞれについてプランクトン群集構造の変動を解析する必要がある。