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【トピック】新種発見のエピソード―キタガワヘビゲンゲの場合
私は北大の教員になる前,ポスドク(ポストドクターの略。博士号を取得した後,任期制の職についている研究員のこと)として水産庁(現在は国立研究開発法人水産研究・教育機構)の研究機関である東北区水産研究所八戸支所にお世話になっていた。この研究所が所有している調査船「若鷹丸」は東北太平洋沖を中心に魚類などの資源量調査などを行っており,何回か調査に参加させてもらった。
1997 年の秋の調査航海のことである。青森県沖の水深約 660 メートル地点でのトロール調査で,たくさんのイラコアナゴ類が入れられたカゴのなかに,見慣れないゲンゲ科魚類がいることに気がついた(図 1)。体はウナギ形で褐色を呈し,側線は 2 本で,腹鰭を持っていない。この海域に分布するゲンゲ科魚類のどの種とも違うため,すぐに新種ではないかと考えた。冷凍して研究室へ持ち帰り,詳細に観察した結果,日本だけでなく,世界中のどの既知種とも異なることがわかり,新種であることが確定した。図1 東北太平洋の青森県沖で採集された1個体目のキタガワヘビゲンゲ(北海道大学総合博物館所蔵標本)。この標本は本種のパラタイプとなっている。
しかし私は悩んだ。亜科レベルの所属がよくわからないのである。ゲンゲ科は 3 つの亜科に分けられている。本種の諸特徴からマユガジ亜科に近いのだが,一致しない点がある。眼の下縁と後縁に位置する眼下骨孔(suborbital pore)という感覚孔があるのだが,マユガジ亜科魚類ではこれらが L 字型に配列するのに対し,本種では半円形に並んでいる(図 2)。
この皮膚上の感覚孔は,皮下にある眼下骨と呼ばれる骨にある感覚孔とつながっており,この配列の違いは眼下骨の配列の違いを表している。眼下骨は眼に沿って配列するので,通常は半円形に並ぶため,マユガジ亜科魚類の状態が派生的と考えられる。この特徴はマユガジ亜科魚類にしか見られず,かなり重要な形質と考えられるため,これを持たない本種をマユガジ亜科に含めることに躊躇した。その後も東北太平洋沖から雌雄を含む 4 個体の標本が採集されたが,どれも眼下骨孔は半円形に配列しており,個体変異や雌雄差ではないことが確認された。図2 キタガワヘビゲンゲ(左上)とヘビゲンゲ属のオホーツクヘビゲンゲ(右下)の頭部側面図。青色の丸印が眼下骨孔を示す。キタガワヘビゲンゲでは半円形に,オホーツクヘビゲンゲではL字型に配列している。
自分だけではなかなか解決できないと考え,ゲンゲ類の分類の専門家に知恵を借りることにした。南アフリカ共和国にある,南アフリカ水圏生物多様性研究所のエリック・アンダーソン博士(M. Eric Anderson)に共同研究を申し込み,主導的に進めてもらうことにしたのである。彼はこの申し出を快く引き受けてくれたので,標本を送って観察してもらった。ほどなくして原稿が送られてきた。まずは気になる帰属を確認した。彼は本種をマユガジ亜科のヘビゲンゲ属(Lycenchelys)に位置づけていた。そして西部太平洋産で本種以外に唯一腹鰭を持たない Lycenchelys fedorovi,および 2 本の側線を持つ北太平洋産の 3 種の本属魚類を比較し,新種と結論していた。しかし,私が悩んでいた眼下骨孔の配列についての論議は含まれていなかった。
どうしたものかと考えたが,知恵を借りるために共同研究に誘ったのだから,ここは彼に任せることにした。この問題を解決するには本種と 3 亜科に含まれるゲンゲ類の比較解剖を行い,系統解析で系統的位置を推定するのが最善だが,まずは新種の早期公表を優先することにした。系統解析は新種公表の後に,あせらず腰を据えて取り組めばいいのである。論文投稿後,校閲者から眼下骨孔の配列に関するコメントもなく,2002 年に無事に Lycenchelys tohokuensis の学名で新種として公表された(Anderson and Imamura, 2002)。
種小名 tohokuensis は,採集されたときの調査を実施した東北区水産研究所と,本種の産地である東北地方の 2 つに因んでいる。標準和名はキタガワヘビゲンゲとした。こちらは,ポスドク時代にたいへんお世話になった,同研究所八戸支所(当時)の北川大二博士に因んでいる(種小名はアンダーソン博士に一任したが,和名は私が提案した)。
北川博士とは酒呑み仲間でもあり,あるとき 2 人で行きつけの居酒屋で一杯やりながら,私が「お世話になったお礼に,いつか北川さんのお名前を魚につけますよ」というと,「ありがたいけど,ゲンゲやクサウオのような変な魚は嫌だなあ」と笑いながらお応えになったのだが,酔っぱらいの話が現実のものとなった。ゲンゲでは嫌だとおっしゃっていたが,北大赴任後にこの論文を公表し,本当にゲンゲにお名前をつけたことをお知らせしたところ,たいへん喜んでくださった。少しはポスドク時代のご恩返しができたかもしれない。このようなエピソードもあるため,本種は私にとって非常に思い出の深い新種となっている。
ところでキタガワヘビゲンゲの系統的位置だが,本種が新種として公表されてから長い年月が流れたものの,腰を据えすぎてしまい,残念ながらまだ論文にできていない。今後の課題となっている。