なお,スウェーデンの昆虫・クモ学者のカール・クレック(Carl A. Clerck)は『自然の体系』第 10 版の出版に先駆け,1757 年に『スウェーデンのクモ類(スウェーデン語で Svenska Spindlar,ラテン語で Aranei Sveciei)』を著した。この著作物はリンネの校閲を受けており,ここでも二語名法が採用されている。規約では『自然の体系』第 10 版と『スウェーデンのクモ類』は 1758 年 1 月 1 日に出版されたものとして扱われている。したがって,両出版物で新種として紹介された学名の公表日も 1758 年 1 月 1 日と見なされる。
二語名は「姓」と「名」?
18 世紀に考案された二語名法が現在も用いられているのは,この方法が簡便かつ体系的で,多くの種の学名を表現するのに適しているからだろう。
二語名法が考案されるまでは,ある生物の名前を一語の学名で表し,それと類似する種がいる場合は区別できる特徴を学名に加えていくという方法をとっていた。したがって,近似種が多いと,2 語,3 語,4 語と学名は長くなる。これでは名前としては破綻しているといってよい。
二語名は人の「姓」(名字)と「名」(下の名前)に置き換えると理解しやすい。私の場合は姓が「今村」である。妻も子供も「今村」だし,母と父も「今村」だから,姓だけだと私を他の家族から区別できない。しかし下の名前の「央」を加えると,家族のなかでは私を特定することができる。
もちろん,日本中には私と親戚関係にない「今村」さんが大勢いる。しかし,動物分類の世界では規約によって,一家族以外に同じ姓(=属名)を持つことはできないし,同一家族のなかでは同じ下の名前(=種小名)をつけることもできない(後者は人間もやっていないだろうが)。つまり,違う種や属(科も)の同名は認められていないのである(同名については後述する)。
あまりに多くの動物種があるために,二語名法だけでは不完全だが,規約で制限を加えることにより,動物の名称を唯一無二,つまり一つの学名を一つの動物のみの名前とすることができるのである。
学名はラテン語のアルファベット26文字で
学名(科階級群名も含む)はラテン語のアルファベット 26 文字で表すことになっているが,英語のそれと同じなので,とくに困ることはない。この
26 文字以外の,たとえばアポストロフィー(’)のような記号や,a と e を連結したæのような合字は使わない。しかし例外的に,ハイフン(-)を用いる場合がある。
種小名の先頭要素がその分類群の形質を示すために使用されるラテン語 1 文字であるなら,規約によって,先頭のアルファベット 1 文字と残りの部分はハイフンで連結する。魚の例では,ミシマオコゼ科の
Astroscopus y-graecum がある。種小名の意味は「ギリシャ語の Y 文字」だが,本種の原記載(original description,新種として公表されたときに書かれた種の特徴に関する文章のこと)には,頭部背面の骨質隆起が Y 文字状(y ではなく Y と書かれている)を呈するとされており,これがこの名前の由来と考えられる。研究者によっては種小名は
ygraecum とハイフンなしで表記すべきと考える人もいるが,先頭の y は本種の形質を示すため,規約に照らすとハイフンでつないで y-graecum とするのが妥当だろう。
種や属の学名は斜字体で
学名はラテン語アルファベットを使用するが,語源はラテン語である必要はなく,自由につくることができる。単語として使用するのであれば,任意の文字の組み合わせでもかまわない。たとえば,アシロ科の
Sirembo wami という種の種小名は,西オーストラリア博物館(Western Australian Museum)のアクロニム(頭字語)の WAM に由来している。本種の学名の基準となる標本(ホロタイプという。後ほど説明する)はこの博物館に所蔵されており,これに因んだものと思われる。
属名は頭文字を大文字とし,複数文字,つまり 2 文字以上で表す。魚類では 2 文字の属名にフリソデウオ科の Zu(ユキフリソデウオ属)がある。種小名も 2 文字以上だが,こちらは頭文字は小文字である。そのため,前述の種小名 y-graecum は,大文字の「Y」に因んだ学名であっても,Y-graecum とはできないのである。