研究の価値は論文にならなければ伝わらない。しかし,初めての論文執筆は,慣れない作業に英語が追い打ちをかけ,四苦八苦の連続であった。W 先生から「文が多いと修正がたいへんだから,一段落,一文でも書けたら見せて」と言われていた私は,とにかく日本語で書きたいことを粗くまとめ,自分なりに英語化しては先生に送り付けた。いやはや,あらゆる意味でボロボロの原稿にはさぞかしお手間を取らせたことと思う。当人は真剣だったが(集中しすぎて一度講義を忘れたこともある),「~における,~の,……云々」という文章を「~ in ~ in …… in ~」と書いたときは,「in が多すぎて何を言いたいのかわからない」と返された。「論文」を書いていたはずが「これはポエムです」というコメントが戻ってきたこともある。落ち込んだ。いまもパソコンの奥底には二度と開けないファイルの山が眠っている。論文の完成が見えてきたころ,テナガツノヤドカリ Diogenes nitidimanus を用いてヤドカリのオス間闘争におけるハサミの重要性を実証した別グループの研究がオンライン上に発表され(Yoshino et al. 2011),あまりの類似性に戦慄した。しかし,生態学が第一報を競う分野でないことや,周囲からの励ましもあり,修士1年の1月,完成した原稿を学術雑誌に投稿した。
待つこと2か月,2名の研究者による査読コメントが届いた。1名(おそらく E 教授)は研究を大絶賛してくださり,S 君とともに文面を目で追いながら心躍ったことを覚えている。もう1名も感触は悪くなかったが,厳しい指摘もあり,W 先生自ら編集担当者に反論してくださったり,一部の解析を変更して対応した。そして,修士2年の5月,データを取り始めてから丸2年を経て,私とS 君の卒業研究は受理された(Yasuda et al. 2011)。かねてから希望していた Marine Biology(海洋生物学系の専門誌)である。受理通知がきたときは飛び上がるほどうれしく,メールを転送すれば事足りるところ,すぐさま先生方に報告せんと廊下に飛び出した。同年の夏に帰省した際は,さっそく処女論文を家族に宣伝した。すると,化学畑の弟が査読後に改訂した図(図4.3b)を一瞥して一言,「汚い図だな」。専攻分野の違いか,ばらつきの多い図に強烈な違和感を覚えたようだ。しかし弟よ,ヤドカリは生き物なんだから全個体がきれいにそろうわけなかろう。少しのずれもなかったら,そのほうがよっぽど不安だ。というか,改訂前はもっときれいだったんだよ!
図4.3 ヨモギホンヤドカリ Pagurus nigrofascia のオス間闘争において大鋏脚が勝敗に及ぼす影響。(a) 大鋏脚の欠損による勝率の低下。オス同士をランダムに組み合わせた闘争では、大鋏脚を欠損していたオスは、通常のオスよりも勝率が低かった。(b) 大鋏脚の長さによる有利性。オス同士の体サイズをそろえた闘争では、相手より大型でも短いハサミを持つオスが散見されるため、x軸にはマイナスも存在する。プロットのばらつきは大きいが、本実験では、相手よりもハサミが長いオスほど勝率が高いことが示された。(Yasuda et al. 2011 を基に作成)