セクションアウトライン

    • ◇お作法–1:交尾前ガード行動

       海辺で大きなヤドカリが小さなヤドカリの貝殻を引きずる様子を見たことはないだろうか。かばんを持つ様子に似ているので,「かばんヤドカリ」とも呼ばれるこの現象は,交尾前ガード行動 pre-copulatory(mate)guarding というヤドカリの繁殖行動である(Goshima et al. 1998)。実は,大きなヤドカリはオス,小さなヤドカリは同種のメスであり,繁殖期のオスが交尾前のメスを他のオスから独占している最中なのである。この行動はさまざまな甲殻類で知られている(Jormalainen 1998)。

       ヤドカリの交尾前ガード行動は,オスが交尾・産卵間近な成熟メスを交尾までの数日間持ち歩く(引きずる)行為を指す。このようなガードペアは,ホンヤドカリ属やツノヤドカリ属などの利き手のあるグループに多く,オスは小鋏脚のハサミでメスの貝殻の入り口をつまんで確保する(図1.15a)。ところがごくまれに,大鋏脚のハサミでメスをガードするオスがいる(図1.15b)。ガードにおける鋏脚の役割分担は厳密で,大鋏脚はガードには用いられない(つまり,両手に花とはいかない)。しかし,このオスは小鋏脚を失っていたわけでもないのに,なぜか大鋏脚のハサミでメスをガードしていた。この理由はいまだに謎である。さらに Hazlett(1966)には,交尾前の行動としてホンヤドカリ属の一種である Pagurus bonariensis(これは新参異名であり,現在の学名は P. stimpsoni)のオスが大鋏脚のハサミでメスの付属肢を直接つかむ様子が描かれている(図1.15c)。これを見た私は,いやいやガードといえば貝殻をつまむもの,本当にオスがメスの付属肢をつまむことなんかあるのか? と内心疑っていたが,ニュージーランドでこの光景を目の当たりにしてたいへん驚いた(第6 章)。一方,Hazlett(1996)によると,利き手のないグループの交尾前ガード行動は大分様子が違う。ヨコバサミ属の一種 Clianarius vittatus のオスは歩脚でメスの貝殻を固定し,数十分しかガードしない。オスがメスよりもかなり大きい場合は,2個体のメスを同時にガードすることもあるようだ。メスの産卵には至らなかったものの,宮川・古賀(2017)もコブヨコバサミのガードを観察している。


    • 図1.15 ヤドカリの多様な交尾前行動。(a) 小鋏脚のハサミでメスの貝殻をつまむ通常のガード (ケアシホンヤドカリ, 撮影: りった)。(b) なぜか大鋏脚のハサミで貝殻をつまむ変則的ガード (ホンヤドカリ)。(c) 大鋏脚のハサミでメスの歩脚をつまむやり方。オスがメスを前後に揺らす (スケールバーは 5 mm: Hazlett 1966)。

    •  交尾「前」ガードと呼ばれるとおり,このペアは一時的なものである。ガード中はペアのメスに熱心なオスも,そのメスと交尾に至り(図1.16),メスが産卵する spawn と速やかにペアを解消する。これは,オスがメスをガードする理由が,そのメスの卵を確実に自らの精子で受精 fertilization させることにあるためである。これを父性 paternity の獲得という。異尾下目のメスは貯精嚢 seminal vesicle(spermatheca とも。受精で得た精子を一定期間保存する器官)を持たない(Goshima et al. 1998)。したがって,オスとメスが交尾すると,メスは数分以内にそのオスの精子を使い,自らの腹肢に受精卵を付着させる。つまり,交尾さえすればオスの父性は確実であり,オスはメスに固執する理由を失う。実際に,交尾を終えたオスは数分で(貝殻内なので確認できないが,おそらくメスの産卵が終わった時点で),急にメスをぽろりと手放してその場を立ち去る。ペアが解消した後は,メスは卵が孵化するまで貝殻のなかで抱卵を続け,オスは新たなメスを探すことになる。

       余談だが,日本には「交尾」と「交接」の2 つの言葉がある。どちらも英語では copulate  なので,わが国独特の使い分けということになるが,どうやら「交尾」は生殖器の直接的な接触による交わり,「交接」は生殖器以外の器官による交わりを指すようだ。ヤドカリたちの生殖行為を「交尾」と呼ぶのは,彼らが精管や生殖口を用いて精包を受け渡すためだろう。なお,copulate はヒトに対しても使える単語だが,英語圏の方からすると割と直接的で卑猥な表現なのだとか(交尾,と考えればわかる)。日常会話では使わないよう気をつけたい。


    • 図1.16 ニュージーランド固有種であるホンヤドカリ属の一種 Pagurus traversi の交尾。筆者がニュージーランドで撮影したもの。右の個体がオス、左の個体がメス。目の前で突然交尾が起こったため、あわててシャッターを切った、その結果、恐ろしくぶれた写真になってしまったが、両者が貝殻から身を乗り出して腹側を合わせているのがわかる。

    • ◇お作法–2:オス間闘争

       多くの生き物と同様に,ヤドカリのオスもメスを確保すれば安泰,とはいかない。周囲にはメスとペアになれずに他のペアのメスを狙うオスがいるため,ガードオスは自分のメスを交尾まで守り切らなければならない。他方,まだメスを確保できていない単独のオスにとってみれば,誰かがガードしているメスは十分成熟した交尾間近なメスである確率が非常に高く,闘いを挑んででも奪い取りたい資源となる。両者の激突は必至である(自分の強さや相手との力関係によっては,単独オスが闘争を挑まない場合もある)。このようなオス同士の直接的な闘いをオス間闘争 male–male contest という。ヤドカリのオス間闘争において,ガードに用いられない大鋏脚は,ガードオスにとっては相手との距離を取り,接近を防ぐための,単独オスにとっては相手をつかみ,メスを力ずくで奪い取るための「武器形質 weapon」として活躍する(Yasuda et al. 2014b:図1.17)


    • 図1.17 ユビナガホンヤドカリのオス間闘争。左のオス (元単独オス) が右のオス (元ガードオス) からピンクの貝殻に入ったメスを奪い、奪い返そうとする元ガードオスの接近を大鋏脚で防いでいる様子。

    •  ヤドカリの交尾前ガードペアは,その見た目とにおいの両側面から他のオスを呼び寄せ,オス間闘争を誘発することがわかっている。Okamura and Goshima(2010)は,ホンヤドカリの単独オスがペアの「見た目」に引き寄せられるかを検証するため,オスの小鋏脚に接着剤で空の貝殻をくっつけた偽ガードペアを作成した。遠目にはオスが交尾前ガードしているように見えるが,当然貝殻のなかにメスはいない。しかし,単独オスは偽ガードペアにオス間闘争を挑んだのである。さらに,偽ガードペアの空の貝殻に他のオスにガードされていたメスの飼育水をしみこませた綿を忍ばせると,単独オスはますます偽ガードペアを攻撃した。このことから「におい」の重要性も明らかになった。

       ここで,メスの立場からオス間闘争を掘り下げてみよう。ガードオスにとっては間違いなく迷惑なイベントも,ガードされているメスの視点に立つと新たな物語が見えてくる。上述のとおり,偽ガードペアの貝殻からメスのにおいがすると,単独オスがオス間闘争を挑む確率は高まった。しかし,ちょっと考えてほしい。パートナーがいない単独のメスなら卵が受精能力を失う前にオスを呼ぶ必要もあるが,すでにガードされているメスなら,現在準備している卵の受精は確実といっていい。にもかかわらず,単独オスを引き付けるにおいが出続けているのはなぜか。これは,オス間闘争を誘発することで,結果としてよりよいオスとの交尾機会を得る,間接的配偶者選択 indirect mate choice だと考えられている(Okamura and Goshima 2010)。ペアのメスがにおいを出し続けていると,単独オスとガードオスによるオス間闘争が起こりやすくなる。メスはガードオスに加勢しない。つまり,「かばん」以外の何物でもないので,オス間闘争の勝敗は純粋に「どちらのオスが強いか」を反映したものとなる。メスとしては,いまのパートナーが守り切るもよし,新たなオスに奪われるもよし。とにかく自身の産卵準備ができたところで貝殻から顔を出せば,そのタイミングで自分をガードしていたオスがガード期間中の最強の王子様,というわけである。この一連の流れは,イボトゲガニのようにメス自らが主体的に(直接的に)オスを選択したわけではないが,結果的にオスを選択しているのと同じ状況なので,「間接的」配偶者選択と呼ばれている。

       さらに,オスもメスにやられっぱなしではない。Kawaminami and Goshima(2015)は,交尾前ガードをしているホンヤドカリのオスが海藻によじ登る現象を報告し,ペアのメスのにおいが他のオスに届いて(ガードオスにとって)余計なオス間闘争を誘発しないよう,メスに対抗しているのだと考察している。このようなオスとメスの利害の対立を性的対立 sexual conflict と呼ぶ。ヤドカリはオス間闘争を中心として,オス同士どころか,オスとメスも仲違いをしているのである。

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