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    • 「宿借り」。その名のとおり,ヤドカリの最大の特徴は,彼らが「宿を借りている」ことにある。このイメージは世界共通で,英語ではヤドカリのことを hermit crab という。hermit は「隠者・世捨て人」を指すので,hermit crab は「引きこもりのカニ,かくれんぼしているカニ,隠居しているカニ」といったニュアンスであろうか。中国語でも「滞在・居候」を意味する,“寄居” 蟹と呼ばれている。そして彼らの「宿」といえば,多くの人が貝殻を思い浮かべるだろう。だだし,2500種以上が知られている広義のヤドカリ(十脚目異尾下目:Bracken-Grissom et al. 2013)のなかで,いわゆる貝殻に住むタイプのヤドカリが含まれるのは,狭義のヤドカリともいうべき,ヤドカリ上科である(図1.1)。本上科には実に1000 を超える種が記載されている(McLaughlin et al. 2010)。


      図1.1 「宿借り」の仲間➀。貝殻に住むヤドカリの例。左から、ホンヤドカリ Pagurus filholi (撮影: 大友洋平)、テナガツノヤドカリ Diogenes nitidimanus (撮影: 古賀庸憲)、コブヨコバサミ Clibanarius infraspinatus (撮影: 古賀庸憲)。


    •  「貝殻を背負う」という特異な行動は一見たいへんそうだ。彼らはいわば常に大きなテントを持ち運んでいるようなもので,いつでも身を隠せる反面,動きを制限されている。実際,何も背負っていないカニが砂浜の上をすべるように移動したり,ささっと物陰に隠れる様子と比べると,ヤドカリの歩みは明らかに遅い。なぜヤドカリは貝殻を背負うのだろうか? その理由は,彼らが背負っている貝殻をペンチや万力で割って,ヤドカリ本体を取り出してみるとわかりやすい。ヤドカリの腹部は,節がなく,ふにゃふにゃとした柔らかい構造で,なんとも頼りないのである(図1.2)。


      図1.2 裸にしたホンヤドカリ。本種の貝殻を割ってみると、貝殻の巻きに合わせて右に湾曲した、ふにゃふにゃの腹部が現れる (撮影: りった)。


    •  これは腹部に殻(外骨格 exoskeleton)がないからではない。腹部にも殻はあるが,貝殻から出ている部分に見られる通常の殻とは異なり,硬化に欠かせない石灰化の程度が非常に低く,硬くない殻,つまり膜のような状態なのである。これでは,強い日差しによる乾燥や降雨による塩分濃度の低下といった,野外の環境変化から身を守ることは難しく,捕食者に対する鎧としても役に立たない。そのため,ヤドカリは貝殻を背負い,脆弱な腹部を保護している。

       なお,巻貝の殻を背負うのはヤドカリの専売特許と思われがちだが,たとえばフクロエビ上目(メスのお腹に幼生を育てる “育房(育児嚢)brood pouch”,すなわちフクロを持つことがその名の由来。ダンゴムシやグソクムシ,後ほど登場するワレカラ類などが含まれる)では,タナイスの一種(Kakui 2019:図1.3)や,端脚類の一種(Carter 1982)が貝殻を住みかにしている。巻貝はヤドカリ以外の生き物にとっても重要な「宿」である。



    •  一方で,宿として,巻貝の殻以外の物体や他の生き物を利用するヤドカリもいる。たとえば,カイガラカツギ属 Porcellanopagurus の個体は二枚貝の殻を背負い(図1.4a),ツノガイヤドカリ類は巻かない貝であるツノガイの殻や木片などに入る(図1.4b)。また,カンザシヤドカリ類はサンゴに空いたゴカイの古巣(棲管)を住みかとする(図1.4cd)。面白いのは,キンカライソギンチャク属 Stylobates のイソギンチャクと共生している深海のヤドカリたちである。貝殻に住み,その表面にベニヒモイソギンチャク Calliactis polypus をつけて生活するソメンヤドカリ Dardanus pedunculatus などとは違い,彼らは最初こそ巻貝に入っているが,イソギンチャクが貝の表面についた後は,イソギンチャクが元の巻貝を伸長させるように作り出した巻貝状の構造物を住みかとする(吉川 2019:図1.4e-f)。この構造物はヤドカリに合わせて成長するので,彼らはもはや空き家を探して引っ越す必要がない。


      図1.4 「宿借り」の仲間➁。貝殻以外に住む。(a) チビカイガラカツギ Porcellanopagurus truncatifrons (Anker and Paulay 2013)。(b) ツノガイヤドカリ科の一種 Bathycheles incisus (McLaughlin et al. 2010: 抱卵メス)。(c, d) イシサンゴ上にイバラカンザシが作った空間に住むカンザシヤドカリ Paguritta vittata (Komai and Nishi 1996)。(e-f) キンカライソギンチャク属と共生するジンゴロウヤドカリ Pagurodofleinia doederleini (Yoshikawa et al.2019)。f・gの黒い部分がイソギンチャクによって形成された構造物 (擬貝) である。