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    •  さて,ヨモギのオス間闘争実験をするためには,大量の交尾前ガードペアが必要である。函館湾では,本種は4月末から6月上旬に繁殖する(Goshima et al. 1996)。岬の岩礁潮間帯(調査地:図3.2)でペアを採集できるのは大潮の干潮時だけ。ゴールデンウィークとその前後の大潮(春の大潮)が研究の繁忙期だよ……。先生や先輩方からそう教わり,4月下旬の研究スタートに向けて準備を進めていた矢先,4月中旬に調査地を下見した S 君が本種のペアを発見し,繁殖期が前倒しになっている可能性が浮上した(近年はさらに前倒し傾向が強い)。本種のメスは1年に1度しか産卵せず(Goshima et al. 1996),産卵済みのメスはオスにとってガードや闘争の対象にならない(木戸ら 2019)。繁殖期が終わっては一大事と,あわただしく野外調査が始まった。


      図3.2 (a) 北海道岬の位置。(b) 大潮の干潮時にヤドカリを探す筆者(撮影: りった)。(c) 岬周辺の岩礁潮間帯は、正面に函館山を望む広大な調査地である。

    •  しかし,調査可能な潮汐のタイミング(潮が良い,という)に海へ降りても,ペアはすぐには見つからない。私のサンプリングセンスは壊滅的で,オス間闘争実験の補足データである大鋏脚の欠損率や,ハサミのサイズの性差を調べるための単独個体(図3.3a)を集めるのに精いっぱいで,肝心の交尾前ガードペア(図3.3b)はまったく見つからず,W 先生の「ほら,そこだよ」に「見えません」としか返せない。散々なサンプリングを終えて大学に戻ると,“サンプリングマシーン” の異名を取る先生が 100 ペア近く採集していた一方,私は最高でも 20 ペアを見つけるのがやっとで,一桁の日もざらであった。困った。1回の闘争実験にはオス2個体とメス1個体が必要である。つまり,実験例数は採集したペア数の半分になるので,たとえば 15 ペアでは7回しか実験できない(目標の実験例数は 100)。採集成績が悪すぎる私に,W 先生の実験の残部がいくつも回ってくる。私の実験個体のおよそ8割は先生からのものであろう。


      図3.3 ヨモギホンヤドカリの (a) 大鋏脚を欠損した単独個体と、(b) 交尾前ガードペア (撮影: 大友洋平)。(a) 筆者が野外で初めて撮影したヨモギホンヤドカリ。貝殻を適当にひっくり返したら見事に大鋏脚がなかった。(b) オスが小鋏脚でメスの貝殻をつまんでいる。ペア探しには慣れが必要だが、経験を積むと逆に視界に入りすぎて困ることもある。