ものへのアプローチ3 文化人類学_前史
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次に注目するのが,文化人類学者による「もの」へのアプローチです.
文化人類学者の床呂らは,本の帯に「「物質文化研究」を越えた,脱・人間中心主義の人類学を求めて」というキャッチコピーを掲げた『ものの人類学』を2011年に出版しています.
コピー通り新しい「もの」研究を希求した書籍ですが,その序章には,人類学における「もの」研究の系譜が要点を押さえてまとめられています.
概観すると,ルネサンス以降に生まれた<珍奇の部屋>(あるいは驚異の部屋),つまり博物館の揺籃期とみなしうる時期に,初期人類学は物質文化研究とほぼイコールなものとして生まれた,と述べられています.学術的・経済的な好奇心に突き動かされて,未開の地に足を延ばし,珍しいもの(異文化)収集し,知ることが人類学(あるいは博物館も)の出発点であった,ということになります.
その後,20世紀の前半から中盤にかけて,個別具体的な「もの」そのものへの関心から,より抽象的な社会・文化システム,あるいは関係性における<ものの「意味」>へと関心が移ってきたとされます.(例えば,ある共同体のフィールド調査において,共同体構成員の誰かが誰かに贈り物をしたのを見たとき,(極端に言えば)贈ったモノの物質的特徴ではなく,社会関係や社会における意味に注目する.)構造主義や,象徴人類学などに代表される「もの」の捉え方・扱い方です.物質的な「もの」そのものには注目されない時期といっても良いかもしれません.
こうして人類学が科学としての力を持ちつつあった時に起きた出来事が1980年代のライティング・カルチャー・ショックでした.J.クリフォードは『文化を書く』 (Writing Culture: The Poetics and Politics of Ethnography)の中で,民俗誌を書くことの客観主義を否定し,創作的な作品であると位置づけ,人類学の拠り所を大きく揺るがしました.
その大きな混乱の陰に,新しい「もの志向」人類学が進行してきた,と床呂らはまとめています.