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極域における植物プランクトンのブルームは,緯度ごとにその発生規模と時期が異なることが知られている(Falk-Petersen et al., 2009)。ブルームとは,植物プランクトンの大増殖のことである。北太平洋などの中緯度域では春季と秋季に観察されるが,高緯度域では主に海氷融解時(または夏季)に見られ,氷縁ブルームと呼ばれる。
この氷縁ブルームが発生した後は,もうブルームは起こらないというのがこれまでの北極海の常識であった。しかし,近年の海氷減少の影響で,秋季ブルームの発生が衛星によって観測されるようになっている(Ardyna et al., 2014)。これは,海氷が減少し,開放水面(海氷がない状態を意味する)期間が長くなると,秋季であっても海面が結氷せず,かつ荒天により下層の栄養塩が有光層内に供給され,植物プランクトンが増殖できるためである(図1.9 の海氷が溶けたときを参照)。
秋季ブルームが発生するということは,これまでなかった生産が生じるということなので,北極海内の一次生産量が高まっているのかもしれない。私はその実態をつかむために,再びJAMSTEC「みらい」北極航海に参加した。
◇ 風が吹くとプランクトンが増える?
2013 年の「みらい」北極航海では,陸棚域(チャクチ海)で2 週間ほどの定点観測を行った。9 月10 日に,北緯72 度45 分,西経168 度15 分に定めた観測点での調査を開始し,8 日後に10m を超す強風イベントがあった。この強風イベントで,下層にあった栄養塩濃度の高い海水が,表層の栄養塩の低い海水と一部混ざり合ったことにより,表層のクロロフィル濃度が上がり,秋季ブルームとなった(図4.10)。「みらい」の観測場所はまさに,その変化をつぶさに捉えることに成功していたのである。
図4.10 2013年9月に北極海内で行った,定点観測の地図(上)と定点観測期間中のクロロフィルaの時系列変化(下)。赤の破線は,強風イベントが起こった期間を示す。観測初期と比べて,クロロフィルaの濃度がおよそ2倍に増加していることがわかる。(Matsuno et al., 2015より)
私は,ニスキンボトルによる各層採水,プランクトンネットによるカイアシ類採集を,定点観測期間中,6 時間ごとに行った。得られた生鮮カイアシ類を種ごとに顕微鏡下で取り分け,有機溶媒中に入れて,消化管色素量(植物プランクトン由来のクロロフィルなどの合計)を抽出し,それを測定することによってカイアシ類の摂餌速度を求めた。
その結果,強風イベントの発生後は水柱のクロロフィルa 濃度が上がり,とくに20 µm 以上の大型珪藻類が増えていた(図4.11)。その変化を受けて,カイアシ類(北極海産種のC. glacialis)の摂餌速度が上がり,餌要求量(生きていくために必要な餌の量)における植物性の餌の割合も有意に大きくなっていた(Matsuno et al., 2015)。また,これとは別に行った植物プランクトン群集組成の解析では,強風イベントの前後で,優占する珪藻類の種類(Yokoi et al., 2016)や優占する植物プランクトン群集組成に変化が見られた(Fujiwara et al., 2018)。
図4.11 2013年9月に行った定点観測期間中のカイアシ類C.glacialisの摂餌速度(a)および水柱積算クロロフィルa(b)の時系列変化。赤の破線は,強風イベントが起こった期間を示す。強風イベントにより,20μm以上の大型珪藻類が増え,カイアシ類の摂餌速度が高まったことがわかる。(Matsuno et al., 2015より)
このように,大気の変化(強風イベント)が海洋環境に影響を与え,それが速やかにプランクトンの変化をもたらしていたことがわかった。北極海内では,開放水面海域の増加や温暖化により,水蒸気量が上昇して雲が発生しやすくなっており(Bintanja and Selten, 2014),さらには低気圧の発生件数も増加している(Sepp and Jaagus, 2011)。つまり,今後も海氷減少が続けば,このような大気イベントや秋季ブルームは増えていき,上記のような過程を経て,その影響が海洋生態系にも及んでいくと考えられる。