Topic outline
怖い,でも面白いクラックやリード
海の流れ,風,砕氷船の衝撃など,海氷にはいろいろな力が加わる。時には,その力に耐えきれなくなって氷が割れてしまうことがある。この割れ目をクラックと呼ぶ(世界気象機関がまとめた海氷用語集によると,幅が数センチから1 メートルまでのものをクラックという)。氷の動きなどによって,あっという間に割れ目は広がる。そしてリードと呼ばれる,幅が1 メートルから数キロもある水路ができてしまう。
うまく氷の上を渡って移動できればいいのだが,多分うまくいかないだろう。よって,観測中はクラックがあるところを可能な限り避けなくてはならない。しかし,雪に覆われると,どこにクラックがあるかわからないときがある。
間違って足を踏み入れると長靴がびしょびしょになって悲しい。悲しいだけですめばいいが,危険なのは海に落ちることである。海氷の下に入り込んでしまったら終わりである。海流などで流されるため,二度と戻って来れないであろう。
そして,海氷に這い上がるのが難しい。分厚い氷になればなるほど,水面と氷の表面の距離が大きくなる(氷の密度は 0.9 kg・m-3 なので,氷の厚さが 5 メートルであれば,水面から氷の表面までは 50 センチになる)。氷の上に雪が積もっているとさらに高くなる。濡れていると海氷の表面はツルツル滑る。水を吸って重くなった服もじゃまをする。
這い上がるには腰につけたアイスピックのようなものを使用する。ただ,本当に落ちてパニックになったら,果たしてそれを取り出すことができるのか不安だ。そして,氷のある海はマイナス1.8 度である。大気は季節にもよるが,たいてい水温よりも低い。だから,たとえ這い上がることができたとしても,船が近くにない限り,寒さで凍えてしまう。
私が参加した2013 年の南極での氷上観測中,突然クラックが発生し,クラックの向こう側に取り残された研究者を小舟で救出する緊迫した状況となったことがある。しかし,ドイツ船の乗組員の方は慣れているようで,楽しそうに救出作業をしているのを見たときは,いろんな意味で,この人たちにはかなわないなと思った。
クラックの出現は科学的に非常に面白い。それまで氷が張っていたところが突如として大気に晒されるのである。熱や気体の交換が活発に起きる。海に蓄えられた熱が極寒の大気へ放出されるので,しばしば湯気が出る。また,氷の下に溜まった二酸化炭素やメタンなどが大気へ放出されるので,物質循環の観点からも,クラックができること,そしてその後リードになることは重要である。
さらに,割れ目が出来ることによって,海氷下に住む植物プランクトンの光環境が劇的に変化する。雪の積もった海氷に遮られていた光が海氷下まで差し込むことによって,植物プランクトンがクラックのなかに大発生することがある。
今後,極域の氷の量が少なくなり,よりいっそう風などで氷が動きやすくなり,クラックが出来る頻度が多くなると考えられるため,このクラック形成が物理,化学,生物に与える影響は大きくなっていくことが予想される。