Chung
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ヤドカリは巻き貝の貝殻に住んでいる甲殻類で、エビやカニの仲間です。ヤドカリは、たとえ小さな弁当箱に入れるだけでも、ちゃんと海水さえ入れてやれば、かなり自然な行動をしてくれます。たとえば新しい貝殻を選んで引っ越したり、貝殻をめぐって闘ったりしますし、交尾を含む配偶行動もします。すぐ横で僕がみていてもおかまいなしです。わるくいえば鈍感、よくいえば「行動観察のための室内実験に適した動物」ですね。世界中のヤドカリ研究者は、貝殻を選ぶ行動や貝殻をめぐる闘いに注目して研究していますが、僕の研究室では、ヤドカリの配偶行動に注目した研究をしています。
そこで、今回は(1)生態学の紹介、(2)行動生態学の紹介、(3)ヤドカリ研究の紹介、という順番で話をすすめていきます。 みなさんは、生態学(英語ではecology)とはどんな学問だと思っているでしょうか。生態学は、「生物」と「環境」の相互作用を解明する学問と定義できます。たとえば、ライオンの生態というと「どのように餌を捕まえて、群れは何頭くらいで…」などといったライオンの暮らしかたを想像する人が多いでしょうね。一方で、ecoとかecologyというと、自然保護や環境問題を思い浮かべる人が多いと思います。このように「生態」は生物、「ecology」は環境をイメージさせる言葉ですが、実際の生態学は、これら2つのイメージを合わせた学問分野といえます。
この定義でもうひとつ大事なことは、生物には階層構造があるということです。生物は、DNAや遺伝子、細胞、組織、器官などさまざまな階層で研究されていて、生態学は、生物を個体、個体群、群集という階層に注目して研究します。個体群とは、同じ地域に棲む同一種の集団のこと(たいてい、群れや家族より大きく、種よりも小さい)、そして群集とは同じ地域に棲む生物全体を指します。
環境は、「生物を取り巻くもの」を指します。環境という言葉の意味は、生物の階層に応じて変わります。全ての生物を包含する群集という階層では、環境には無機的環境要因だけが含まれます。生物は全て群集に含まれているからです。一方、個体群という階層では、他の生物も環境に含まれます。そして、個体という階層で研究するときは、兄弟や親子、同性個体や異性個体も環境の一部です。
行動生態学は個体をおもな対象とした生態学です。捕食者による餌の捕まえ方や、被食者による防衛行動、親子関係や、メスをめぐるオス同士の闘いなどは、すべて「生物と環境の相互作用」であり、行動生態学における研究対象なのです。生物と環境が影響を及ぼし合うことを相互作用といいます。例えば、部屋が暑いときに上着を脱ぐこと、人の体温によって部屋がさらに暑くなることは、人と室温の相互作用の例です。ここで挙げた写真も相互作用の例です。左から順に、配偶関係(オス(大きなヤドカリ)がメス(小さなヤドカリ)を連れて歩いている)、親子関係(親(大きなイソギンチャク)が腹部に子を付着させている)、捕食・被食関係(扁形動物のヒラムシがブドウガイを捕食している)、私の犬(私に向かってニッコリしている)です。対象としている生物が環境からどのような影響を受けて、そして環境にどのような影響を及ぼしているのかを調べることが、「相互作用を研究する」という言葉の意味です。
生物学の多くの分野が、生物の中身を調べているのに対して、生態学は生物と「外」の関係を調べているのが特徴と言えるでしょうね。
行動生態学とは個体レベルの生態学だと先ほど述べましたが、もう少し詳しく説明しましょう。
行動生態学は、生物個体が環境とどのように関わっているのかを研究します。ここでいう環境には、水の流れや光の強さ、温度、塩分など、物理・化学的な要因以外に、捕食者や餌となる生物、競争相手、配偶相手、親や子のような他の生物も含まれます。そして、相互作用、関わりあいは、双方向的です。例えば、生物が流れの速すぎる場所や捕食者を避けることのように、環境に応じて生物が行動を変えることもありますが、生物がいることによって流れが遅くなったり、捕食者が近くにやってきたりすることもありますね。つまり、生物が環境を変えることもあるわけです。行動生態学は、このような相互作用を研究します。
このように、生物と環境の相互作用を研究するという生態学の本筋は外しませんが、それに加えて、進化を意識した研究が行われる点が、動物行動学の他の分野(動物心理学や神経生理学、行動遺伝学など)とは異なるところです。このことについては、次以降のスライドで少し詳しく説明しましょう。
なお、行動生態学は、その名の通り、生物の行動を研究対象としています。ただし、形(体の大きさ、模様なども含む)や生活史(一生のスケジュールや成長速度など)も、行動と密接に関係しているので、行動生態学では、それらの性質もあわせて研究することが多いです。
「なぜある動物がある行動をするのか」という問いに答えようとするとき、大きく分けて4通りの答え方があります。左上の「機構」とは、動物の行動を司る体内の仕組みであり、ホルモンや、脳と神経系、あるいは遺伝子などに注目した答え方となります。右上の「発達」は、個体が生まれてからその行動を行うようになるまでの過程に注目します。「発達」は「機構」よりも長い時間を想定していることになります。右下の「歴史」は、その生物の進化系統関係において、その行動がどのように進化してきたのかという過程に注目します。そして、「機能」とは、その行動が進化の結果として現在まで残ってきた仕組みを考えます。これら4通りの答え方は明確に分離できるわけではなく、境界はあいまいです。ただ、4通りの答え方のどれか1つの正解が分かっても、それが、他の答え方の答えになるわけではないので、4通りの答え方があることを認識しておくことは重要です。行動生態学は、とくに「機能」の答え方に注目している学問分野です。
では、行動に「機能」があると考えられる理由はなんでしょうか。それは生物が自然淘汰によって進化してきたからです。自然淘汰による進化の結果、生物の多くの性質は「機能」、つまり、生存率を高めたり、卵や子の数が増やすうえで有益な側面をもつようになっていると考えられます。逆に言えば、その「機能」に劣る行動や、そもそも「機能」がない無駄な行動は、長い進化のなかで頻度を減らしていったと考えられます。
たとえば、従来の行動に比べて生存率を1%だけ上げる遺伝的な行動が突然変異などによって生じたとします。個体群が小さければ、この行動が増えるか減るかは偶然に強く左右されますが、個体群がある程度大きければ、進化が進むにつれて、その行動は着実に個体群の中で頻度を増やしていきます。このように、生存率や繁殖成功度(卵や子の数)にほんのわずかな違いでもプラスの効果を生む行動は、長い進化のなかでは多数派となっていくので、現在の生物の行動には、多くの場合、なんらかの「機能 (生存率や繁殖成功度を上げる効果)」があると期待できるのです。
このような理由で、行動生態学では、生物の行動は環境に適応しているという前提をおいて、その行動の機能を探っています。
それでは、ヤドカリの行動生態学研究について紹介します。この写真のように、オスがメスを持ち運ぶ行動を「交尾前ガード行動」といいます。交尾前ガード行動は、ヤドカリだけでなく、他の甲殻類でも知られています。例えば、ケガニやタラバガニも交尾前ガード行動をします。
ヤドカリのオスは、出会ったメスの成熟度合いを性フェロモンで評価して、もうすぐ産卵するメスをみつけると、そのメスの貝殻をつかんで交尾・産卵まで持ち歩きます。写真の大きな個体がオスで、小さな個体がメスです。この交尾前ガード行動は、ヤドカリのオスによる配偶相手選びの結果を、とても分かりやすく教えてくれるため、オスがどのようなメスをいつから持ち歩くのかという配偶者選択の研究にもってこいです。
なお、写真のヤドカリの脚の模様や毛に注目すると、3枚の写真は、ヤドカリの種が違うことが分かると思います。左から順に、ホンヤドカリ、テナガホンヤドカリ、ヨモギホンヤドカリという種です。名前から想像できる通り、これらはみんな「ホンヤドカリ属」の近縁種です。私たちの調査地(葛登支)には他にもケアシホンヤドカリ、ホシゾラホンヤドカリ、イクビホンヤドカリ、ホンヤドカリ属の種がいます。下の動画はケアシホンヤドカリの交尾前ガード行動です。
配偶者選択には、大きく分けて2種類あります。1つは、1個体のメスと出会ったとき、そのメスをガードするのかという配偶者選択です。生理的な「機構」についての説明だけならば、「オスはフェロモンを感知したらメスをガードする」という単純な話になりそうですが、じつは彼らはそこまで単純な生物ではありません。
例えば、ライバルとなるオスが相対的に多いときや、配偶相手となるメスが相対的に少ないとき、つまり性比がオスに偏っているときとメスに偏っているときならば、前者のときのほうがメスを早くからガードしておく必要がありそうです。近くにいるオスが自分にとって手強いオスであるときと、自分よりも弱いオスであるときも同様です。
また、メスとの頻繁に出会える場合と遠距離恋愛のようになかなか出会えない場合も、ガードするかしないかという意思決定は違ってきそうです。
そこで、私たちは、テナガを対象に、そのことを確かめる実験をしてみました。
すると、期待通りの結果が得られました。テナガホンヤドカリのオスは性比がオスに偏っているときのほうが、早めにメスをガードし始めました。その結果、メスが産卵するまでにかかったガード時間は、性比がオスに偏っているときのほうが長くなりました。
また、体格差が小さく、自分にとって手強いオス(ライバル)が近くにいるときのほうが、そのライバルが小さく弱いときよりも、オスはメスを早めにガードし始めました。これは、ライバルよりも先にガードしてしまったほうが、後から、他のオスからメスを奪い取ろうとするよりも有利だからと考えられます。
このグラフは大型オスのガード時間を縦軸にしています。小型オスが相対的に大きく、体格差が小さいときほど、ガード時間が長いことが分かりますね。
そして最後に、3つの水槽にオスを1個体ずつ入れて、そこに1個体のメスを加えて、そのメスがふだんから一緒にいる条件と、6時間毎に10分間だけメスと出会える条件、そして1日に10分間だけメスと出会える条件となるように、メスを隣の水槽へと移しては10分経ったら元の水槽に戻すという操作を繰り返しました。オスがメスをガードし始めても、10分経ったらそのメスを引き離して戻します。オスにとっては切ないですね。
その結果、予想通り、メスとの遭遇頻度が低いオスほど早くからメスをガードし始めるという結果が得られました。つまり、テナガホンヤドカリは、メスの性フェロモンに加えて、性比やライバルの手強さ、そしてメスとの遭遇頻度などの様々な情報を利用して、交尾前ガードを始めるか否かという配偶者選択をしているのです。テナガホンヤドカリの大きさは小指の爪程度。こんなに小さな動物でも、周囲の状況や優劣関係、そして過去の情報(遭遇頻度)に応じた行動ができるのは驚きですね。
つぎに、オスの目の前に複数のメスがいて、そのうち、どのメスをガードするのかというお話です。こちらのほうが、多くの人が「選択」としてイメージする方の配偶者選択かもしれませんね。
このときの選択基準として、2つの基準が考えられます。1つは、オスが産卵が間近なほうのメスを選ぶという基準です。じつはテナガホンヤドカリの繁殖期は1ヶ月程度です。この期間中にできるだけ多くのメスと交尾できたほうが、オスにとって繁殖成功度が上がる(子の数が増える)と期待できます。できるだけ産卵間近なメスを選んでおいたほうが、1ヶ月間で交尾できる数が増えるため、オスは産卵間近なメスを選ぶと予想できます。
もう1つは、大きなメスを選ぶという基準です。ヤドカリのメスの産卵数は、体が大きいほど多くなるので、できるだけ大きなメスと交尾できたほうが、オスにとって繁殖成功度が上がると期待できます。
これらの選択基準でメスを選んでいるかどうかを確かめるために、メスを2個体、オスを1個体の合計3個体を同じ水槽に入れて、2個体のメスのどちらかをオスに選ばせる実験をしました。そして、選ばれたメスだけでなく、選ばれなかったメスもオスと一緒にして、それぞれがどのタイミングで産卵したかを確かめました。最後にオスとメスの体の大きさを測定しました。この実験はヨモギホンヤドカリとテナガホンヤドカリでおこないましたが、結果は、種間で異なるものとなりました。
これがヨモギの配偶者選択の結果です。オスのサイズを大型と小型に分けて解析しています。このグラフはちょっと難しいので、じっくり眺めてください。まず縦軸は、オスが大型メスを選んだのか、それとも小型メスを選んだのかとなっています。横の平面をつくっている2つの軸は、体長差と成熟度の差です。この「差」は、大型メスと小型メスの引き算をした結果です。成熟度とはメスが交尾・産卵するまでにかかった日数なので、「この値が大きいほどメスの成熟度が低い」ということに注意してください。この値がプラスであれば、大型メスの産卵日が小型メスよりも遅かったことになります。
今回のグラフでは、成熟度の差が0からマイナスになるにつれて、大型メスを選んだ確率が上がっています。いっぽう、体長差が違っても、オスが大小どちらのメスを選ぶかという結果には、あまり影響を及ぼしていないことがうかがえます。つまり、ヨモギホンヤドカリのオスは、成熟度を基準にしてメスを選んでいて、体長を基準にはしていないのです。
これは、交尾前ガード中のオス(ペアオス)が他のオスとメスをめぐって闘争したときの勝敗を図示したものです。オス間闘争は基本的に、サイズが大きいほうが勝つのですが、ガード中のメスの産卵が近いときほど、ペアオスの勝率が上がっていることがわかります。例えば、2個体のオスのサイズ差が0のとき、実線のS字曲線が一番上に切片があることから、そのことが分かりますね。メスの成熟度が低い、つまり、産卵まで2日以上かかる場合が一番下にあるS字曲線です。ガード中のメスが産卵するまで時間がかかるときほど、つまり、ガードしているメスの「配偶相手としての質」が低いときほどペアオスは負けやすくなるようです。
一方、テナガホンヤドカリでは、大きく異なる結果となりました。今度は、メスの体長差がオスの配偶者選択に重要な基準となっていることが分かると思います。さらに、小型オスと大型オスとでは、配偶者選択のしかたが違っているように見えますね。小型オスのグラフは、大型オスのグラフとヨモギのグラフの中間的な形をしています。つまり、小型オスは、メスを選ぶときに、体長だけでなく成熟度も選択基準としているようです。小型オスが大型オスに出会うとメスを奪われてしまうことが多いので、たとえ小さなメスでも早く産卵してくれるほうがよいのかもしれません。
最後に、ホンヤドカリについて紹介します。前の2種と異なり、ホンヤドカリの配偶者選択では、実験しても明確な結果が得られませんでした。しかも、ホンヤドカリでは、2個体のメスのうち、どちらも選ばない個体もみられました。
このオスたちが「やる気」を失ったのかというと、そうでもありません。なぜなら、実験のあとで野外でガードしていたメスと再会させてやると、そのメスはちゃんとガードするからです。どうやら、テナガと同じように、ホンヤドもメスを個体識別かなにかしているようです。
ただ、野外でもそうだとしたら、なんだか繊細すぎる気もします。
ひょっとすると、今回のような結果になるのは、メスとの別れ方が不自然だったからかもしれません。考えてみれば、人間にピンセットでメスと引き離されるなどという別れ方は、長いホンヤドカリの進化のなかで、めったにあることではありません。そのため、今回の結果が適応的な行動でなかったとしても当然と言えます。
そこで、もっと自然な別れ方にしてみました。すると
今度はちゃんとどちらかのメスを選択したオスが多くなりました。ただ、それでも配偶者選択の基準は不明でした。テナガとヨモギは、どちらも繁殖期が1ヶ月程度ですが、ホンヤドカリの繁殖期は半年以上と、とても長いです。そのような違いも行動の違いと関連があるのかもしれません。
今回は、ヤドカリの配偶者選択を例として、行動生態学という学問の一端を紹介しました。どうやらヤドカリたちは、色々な情報を利用しながら、まずまず適切な意思決定を下しているようだということが分かってもらえたのではないかと思います。かつて、無脊椎動物は、社会性昆虫や頭足類(タコ、イカ)以外は、とても単純な動物であるかのように思われていました。けれども2000年代以降、さまざまな研究で、無脊椎動物もじつは多くの精妙な行動を示すことが分かってきています。とくに、海の中は、陸上よりも多くの動物が高密度で生息しているため、お互いの情報を利用した意思決定が重要です。これからも、もっと面白い発見がどんどん生まれてくるのではないかと、私は大いに期待しています。