私(大木)が博士課程学生のころ、淡青丸(当時東京大学)の研究航海に参加して、太平洋の海原で黄砂の襲来を待ちわびていた。黄砂粒子と人為汚染物質の混合状態を調べたかったのだ。指導教員の植松先生は、「俺が船に乗ると、必ず何かが起こる。」と豪語していた。 この“何か”とは、観測で期待するような自然現象であったり、予測もしなかった突発的な自然現象である。うろ覚えであるが、植松先生が参加した航海では、船の風上の火山島で噴火が起きたり、太平洋にてシベリアの森林火災プルームを捉えていたように思う。偶然もあるが、植松先生は、その現象をしっかりキャッチする嗅覚と、それをチャッカリ研究成果にしてしまう機敏さ持ち合わせているのである。
さて、船上で黄砂襲来を待ちわびていたら、化学天気予報(CFORS; 九州大学応用力学研究所)により、大規模黄砂が襲来しそうなことがわかってきた。植松先生、「ほら見ろ!」と得意気である。「外の空気に触れてみなさい、頬っぺたがザラザラするよね大木君! 黄砂がきたねぇ。」と仰るので、私が冷静に「先生、それは黄砂じゃなくて、海塩粒子がくっついてベタベタしているだけですよ。それか、ヒゲを剃っていないだけじゃないですか?」といったら、先生から「アホ! 研究は信じることからはじまるんや!」と叱られてしまった。そのときは、「えぇ~、そんなんでいいの?」と指導される側として不安を感じたのを覚えている。
あれから15年以上が過ぎた。自然を相手に研究するときは、何かを“信じて”観測を続けるしかないことに気付かされてきた。観測をしているときは、逐一結果がでてくるわけではないし、1年以上継続しないと結果がでないことも多々ある。そんなときは、「素晴らしい結果、期待通りの結果が得られるハズ」と信じるしかない。しかし、1年以上経ってデータが出揃ってから、信じていたことに裏切られることの方が多いのである。そこで踏ん張らなくてはならない。裏切られた理由を考えて、そこから本当の研究が始まり、新発見につながるのだと、再び信じなくてはならない。
信じることが大事なのは自然相手の研究に限らないですよね。みなさんも、裏切られても、裏切られても、懲りずに信じましょう。何事も、信じることからはじまるんや!(座右の銘:大木)
大木淳之