小学校3・4年生の頃,父の転勤で北陸地方のある町に移り住んだ。そこには豊かな自然があった。田んぼがあり,小さなオタマジャクシが戯れていた。小川があり,ドジョウやフナが泳いでいた。沼があり,ウシガエルが鳴いていた。山があり,クワガタムシが住んでいた。驚喜した。それまで住んでいた町には,これほどの自然はなかった。勉強はそっちのけで,野山,田んぼ,小川などで生き物を追いかけて遊びまくった。そして,あちこちから生き物を捕まえてきては飼育した。とくに興味があったのはフナ,ドジョウ,ナマズといった魚類だった。飽きることなく水槽を眺めていた。
その後,再び父の転勤があり,西日本の大都市で私たち家族は新たな生活を始めた。大都市での生活ゆえ,必然的に自然との関わりは薄れた。それから時が流れ,進学先の大学を選ぶとき,当初はある大学の理学部生物学科を考えた。かなりの時間が流れたせいか,北陸地方での楽しい体験を忘れていたのだが,高校3年生の夏に突然,小学生の頃に魚にとても興味を持っていたことを思い出した。それがきっかけとなり,魚の研究をやってみたくなり,志望校を北大水産学部に変更,受験したところ合格し,紆余曲折あって現在に至っている。幼い頃に自然と戯れた経験が,現在の魚類研究者としての基礎を形成したのだと思う。
そのような経緯を経た上で,大学4年生から現在にいたるまで,約30年にわたって魚類の分類と系統分類に携わってきた。いつも順風満帆なわけもなく,苦労することも多々あった。それでも,魚の研究を行うことの楽しさ,素晴らしさにふれることができ,非常に恵まれた経験をさせてもらってきたと思っている。
いまから十数年以上も前のことである。同じ研究室の先輩で,ある国内の博物館に勤務する方から,「あなたがうらやましい」といわれたことがあった。自分には指導する学生がいないが,あなたは大学の教員であり,魚類分類学の後継者の育成に関わることができているから,というのが理由だった。おっしゃるとおりで,たいへん幸せなことに,私は後継者を育てることができる,大学という環境に身を置いている。そしてこれもたいへんうれしいことに,毎年4 月になると何人かの新4年生が研究室の新しいメンバーとなり,新たな研究をスタートさせる。
もちろん全員が研究者を目指すわけではなく,学部を卒業後には社会へ巣立っていく人もいるし,修士課程に進学しても,博士課程には進まずに就職する人も多い。それはそれでいっこうにかまわない。それぞれが自分の思う人生を歩み,そのどこかで研究室で経験したことを(魚の研究だけでなく,論理的な文章の書きかたやプレゼンテーションのしかたなども)少しでも生かしてくれたらそれでよいと思っている。一方,博士課程に進学し,研究者を目指す人もいる。魚類分類学を仕事にできる職種は少なく,大学教員か博物館員くらいである。魚の研究を行う研究機関としては水産試験所や水産研究所もあるが,分類学は業務に含まれない(調査で採集された魚種を判別するために分類学的な知識が必要な場面はあるかもしれないが,メインの仕事ではない)。このようになかなか厳しい現状ではあるが,できれば博士課程に進学する彼らには魚類分類学者として研究職を目指してほしい。そして,日本の魚類分類学の後継者の一人として,次の世代の育成にぜひ関わっていただければと思う。
バランスドオーシャン版の『魚類分類学のすすめ』を読んだ高校生や大学生の方で,もしかしたら魚類分類学に興味を持ち,この分野を研究してみたいと思った人がいるかもしれない。私は北大の教員なので,高校生の方であれば,できれば北大水産学部を受験し,将来は函館キャンパスで学んでもらえるとうれしいが,他の大学に進学されてもかまわない。本書が読者の知的好奇心を刺激し,将来の進路によい影響を与えることができたとしたら,非常にうれしく思う。また,大学生の方で,もしご自身の大学で魚類分類学が学べる研究室があれば,ぜひそちらへ進んでほしい。そのような研究室がなかったとしても,大学院へ進学する希望があるのなら,北大を含め,他大学の魚類分類学の研究室に進学するという道もある。
分類学に限らず,研究者を目指したいと思うのなら,ぜひ英語の勉強に力を入れるとよい。本書でも述べたように,科学論文は英語で書くことが多い。いいかえると,英語で書かれた論文を読む機会も多いということである。また,研究を進める過程で,海外で標本を観察したり,国際シンポジウムで発表する機会もあるだろう。つまり,何かにつけて英語能力が必要な場面が出てくる。私は中高校生の頃,英語があまり得意ではなかった。英語の勉強に時間を使わなかったのが一番の原因だと思う。高校2年生から理系コースを選択し,そちらの道を進むことにしたのだが,悪いことに英語は文系科目だと勝手に思い込んでいた。理系でも英語は必要だといってくれる先生もいなかった。そんな理由で,英語の勉強に力が入らなかったのだが,大学4年生になって研究室へ配属されて卒業研究を始めてから,理系こそ英語が必要なのだということにようやく気がついた。
あるとき何人かの学生に,高校の先生から英語の重要性を教えてもらった経験があるかどうか聞いてみたところ,約半数の学生があると答えた。私が高校生の頃と比べると状況は変わってきている。自然科学に関わらなくても,国際化が進んでいるいま,英語の重要性は増す一方であろう。将来どのような道に進むかまだ決めていない人も,自分への投資だと思って英語を勉強することを強くお勧めしたい。
魚は好きだが,研究者になるつもりはない人も大勢いると思う。研究者でなくても楽しく魚と関わりを持つことは十分可能である(むしろ研究対象としないほうが,より楽しい付き合いができるかもしれない)。釣りが好きな人もいるだろうし,水族館や自宅の水槽で魚を眺めるのが好きな人もいるだろう。そのような魚との付き合い方もとても素晴らしいと思う。その際は,ぜひその魚に名前がついていることを思い出していただきたい。そして,より楽しく魚と付き合うために,わからない魚を見かけたら,図鑑などで名前を調べてみてほしい。その魚を知ることの第一歩となるはずである。名前を知ることで,あなたの魚の世界をもっと深めていただければとてもうれしい。
2020年7月
研究室から函館山を見ながら 今村 央