Topic outline
水酸化鉄(III)が還元されて二価の鉄イオンが生成される条件
水酸化鉄(Fe(OH)3)からの二価鉄イオン(Fe2+)の溶出
酸素のある海水中において、鉄イオン(Fe2+)は速やかに酸化されて、水酸化鉄(Fe(OH)3など)の粒子として沈殿します。海底に堆積した水酸化鉄は、堆積物中で無酸素下におかれると還元されFe2+イオンとして溶出します。堆積物から直上水に出たFe2+は、比較的速やかに酸化されますが、酸化される前に、フミン酸などの高分子有機物と出会えば錯体を形成して、有機錯体鉄(Ⅱ)として溶存し続けることができます。このようにして直上水に供給され、有機錯体鉄として溶存する鉄が海洋の鉄循環にとって大事であると考えられています。本コースでは、堆積物中で水酸化鉄が溶解して、Fe2+として溶出する条件を求めます。
水酸化鉄からFe2+が溶出する半反応式と各成分(1 molあたり)の標準生成ギブズエネルギーを以下に表します。
Fe(OH)3 + 3 H+ + e- = Fe2+ + 3 H2O
GF0 (kJ/mol) -696.9 0 -78.9 -237.18
生成形と原形の標準生成ギブズエネルギーの合計差⊿Gf0は、
⊿Gf0 = (3(-273.18)+(-78.9))-(-696.9) = -93.54×103
この半反応式の標準電極電位E0を計算します。
E0 =-⊿GF0 / (n・F) = -(-93.54×103) / 96485 / 1 = 0.969 (V)
ネルンストの式を使って、あるFe2+濃度とpH(H+濃度)、温度(T = 273+25 K)を与えたとき、この半反応の酸化還元電位Eを求めます。
E = E0 -RT/(F)・Ln { [Fe2+] / [H+]3 }
= 0.969 - 0.024387・Ln [Fe2+] + 0.024387・3・Ln [H+]
= 0.969 - 0.024387・Ln [Fe2+] + 0.073161・(1/Log e)・(-pH)
= 0.969 - 0.024387・Ln [Fe2+] - 0.168459pH
pH8.1、酸化還元電位0.45 (V)の海水中にFe(OH)3のコロイドが浮遊しているとき、そのFe(OH)3と溶解平衡にあるFe2+の濃度は0.0003 pmol/L(ピコモル:10-12モル)と非常に低いことが求められます。つまり、Fe(OH)3の粒子は海水にほとんど溶けません。
粒子のまま有機物粒子に吸着して沈降し、海底面に堆積します。堆積物表層のフワフワした層(堆積物表面0~1 cmくらい)では、有機物粒子の分解による酸素消費と、直上水からの酸素供給がせめぎ合っていて、辛うじて酸素が残っている状態になります。そのような層では酸化還元電位がゼロに近づいてきます。E = 0.04 (V)、pH = 7.5では、Fe2+の溶解平衡濃度は0.17 μmol/Lになります。Fe2+濃度が0.17 μmol/Lでは低いと思われるかもしれませんが、海水中の溶存鉄濃度(コロイド状鉄と有機錯体鉄を含む)は10 nmol/L程度なので、この1桁も高いのです。堆積物表層において、Fe(OH)3から溶解したFe2+が腐植有機物と錯体を形成してしまえば、その分、Fe(OH)3の溶解が続くのです。実際に、堆積物表層0~1 cmの層の間隙水中の溶存鉄濃度を測ってみると、数十μmol/Lに達することが確認されています。
(堆積物表層に蓄積している高濃度の溶存鉄の大部分は有機錯体鉄と考えられます。その生成経路としては、Fe(OH)3粒子から溶出したFe2+が腐植有機物と錯体を形成したものと、有機物粒子に含まれていた有機錯体鉄が分解に伴なって海水に溶出したものの両方があると思われます)
鉄(Fe)のプールべ図
再び、水酸化鉄が溶解する半反応式とネルンストの式を記します。
水酸化鉄の溶解(半反応式): Fe(OH)3 + 3 H+ + e- = Fe2+ + 3 H2O
ネルンストの式
E = E0 -RT/(F)・Ln { [Fe2+] /( [H+]3 ・[Fe(OH)3])
= 0.969 - 0.024387・Ln{ [Fe2+] / [Fe(OH)3]} - 0.168459pH
(物理化学の約束として、固体(Fe(OH)3)の溶液反応において、その固体は十分量あると考えて、固体濃度=1 となります)
Fe2+ とFe(OH)3 の存在比を分ける条件 [Fe2+] / [Fe(OH)3] =1 のとき、
([Fe(OH)3] =1 (mol/L)とするので、 [Fe2+] = 1 (mol/L)のとき)
E = 0.969 - 0.168459pH となります。
横軸にpH、縦軸にEをとって、この関係式を下の図に描きました。
境界条件(Fe(OH)3 ⇔ Fe2+)の黒太線より上側の領域では固体のFe(OH)3が存在することを意味し、Fe2+は1 mol/L以下で溶解平衡に達していることを意味します。
それでは、[Fe2+] < 1 mol/L ではどのようなラインになるでしょうか。
溶解平衡濃度 [Fe2+] = 1 µmol/L のときのラインを下の図に加えました。大きくシフトしているのがわかります。
海洋での鉄と硫黄の反応(まとめ)
堆積物表面付近で無酸素状態になっていれば、酸化還元電位は0 (V)近くまで下がります。すると、堆積物表面に沈殿していた水酸化鉄(Fe(OH)3)の溶解が急に進んで、Fe2+濃度は数十µmol/L の溶解平衡になります。これは、直上の海水中の溶存鉄濃度の千倍にも達します。さらに、堆積物の深い方では、-0.1 (V)まで低下すると硫酸還元菌の作用で硫化水素が発生します。
硫化水素イオンが発生したところに、先に溶出したFe2+が存在すると、両者が反応して硫化鉄FeSの黒色沈殿が生じます。FeS(いずれFeS2になる)はなかなか溶解しないので、海底下深くまで埋没してしまい、数千万年後にはパイライト(FeS2)の鉄鉱床を作るでしょう。したがって、硫酸還元まで進んだ堆積層では、間隙水に溶存するFe2+イオンの濃度は著しく低くなります。堆積物中の比較的深いところで発生するHS-イオンのうち、Fe2+との反応を免れたものは、分子拡散により、堆積物の上の方へ運ばれます。酸素と出会うとHS-イオンは酸化されてしまうから、HS-イオンの影響が及ぶのは、酸化還元電位がゼロ付近(無酸素層)までです。海底堆積物の直上水が、何らかの理由で貧酸素化していれば、堆積物表面付近までHS-イオンの影響が及ぶこともあります。もちろん、海洋の底層水が無酸素状態に陥り、海水の酸化還元電位が-0.1 (V)を下回れば、海水中でも硫酸還元が起こってHS-イオンが発生します。閉鎖系の内湾で底層水が停滞すると、このようなことが起こり得るのです。