栄養塩類について供給と消費のバランスを詳しく調べる必要があるようなので、次に化学量論的な話しをしましょう。
表層海水をろ過してフィルター上に残った粒子中の元素組成比(モル比)を調べると、平均的にC:N:P = 106:16:1になります。海水中粒子のほとんどが植物プランクトンと考えれば、植物プランクトンが繁殖するにつれ、海水中の炭素と栄養塩がこの比率で有機物に取り込まれます。この法則を見つけた人物の名前にちなんで、これをレッドフィールド比(Redfield ratio)と呼びます。二酸化炭素が有機物に固定される反応が平均的にレッドフィールド比に従うとすれば以下の反応式が成り立ちます(海洋化学,西村編, 1983)
(CH2O)106(NH3)16H3PO4 + 138O2 = 106CO2 + 16HNO3 + H3PO4 + 122H2O
ここで、(CH2O)106(NH3)16H3PO4 は生体を構成する平均的有機物組成を表し、有機物中で窒素はアンモニア、リンはリン酸として存在することを意味します。この有機物中にある106C, 16N, Pを全て無機化して海水中に再生するのに必要な酸素は276Oであり、これが呼吸による酸素消費量に相当します。
これを元素比で表すと、
C : N : P : O = 106 : 16 : 1 : -276 となります。
海洋ではバクテリアが有機物の無機化の多くの部分を担っています。有機物からリン酸塩1molを再生するのに要するO2消費量は138 molです。下に栄養塩の消費と、バクテリアによる有機物分解、栄養塩の再生、酸素消費を説明した絵を描きました。
【春季ブルーム前】 表層水中には、冬期鉛直混合でもたらされた栄養塩が存在します。海水中の全炭酸と栄養塩濃度は以下とします。全炭酸濃度(ΣCO2) = 2000 μmol/L、NO3- = 12 μmol/L、PO43- = 0.9 μmol/L
【春季ブルーム後】
① 基礎生産により海水中の炭酸(ΣCO2)と栄養塩(NO3-とPO43-)が植物プランクトンに取り込まれます。そのときの取り込み平均比率は、C:N:P = 106:16:1と考えられます。植物プランクトンのブルームが続くと、海水中のNO3-濃度が先にゼロとなり、それ以降、基礎生産が起こらなくなります。つまり、このケースでは硝酸塩の枯渇により基礎生産が制限されます(窒素制限)。いっぽう、リン酸塩は0.15 μmol/Lだけ残っています。このとき、1Lの海水中で有機物粒子に取り込まれたCは79.5 μmol、Nは12 μmol、Pは0.75 μmol です。
(なお、栄養塩成分の初期比率によってはPO43-濃度が先にゼロになることもあり、そのようなときは“リン制限”により生物生産が抑えられます)
【春季ブルームで生産された有機物が下層で分解、上層へ再び供給】
② 表層で生産された有機物粒子は、デトリタス(死骸や糞粒)となります。その有機物粒子(POM)は沈降しながら徐々に分解されます。
③ 有機物が微生物により分解されると海水中に栄養塩が再生します。その有機物が完全に分解されれば、有機物から再生する栄養塩の元素組成比(C:N:P)は106:16:1に近くなります。
ただし、有機物中でNとPを含む脂質・タンパク質は分解が早いですが、細胞壁を構成する炭水化物(C,H,Oのみ)の分解は遅いです。そのため、有機物分解の初期過程では、Cの無機化に比べて、脂質・タンパク質のみに含まれるNやPの無機化の方が早くなります。したがって、レッドフィールド比と等しくC,、N、Pが海水に再生するとは限りません。(ここでは、完全に分解するとして話を進めます)
④ 海水に再生した栄養塩を豊富に含む水が、再び冬季鉛直混合により表層へもたらされ、次の春のブルームに使われます。
※ 植物プランクトンによる栄養塩の取り込み比率が、N / P =16 にならないこともよくあります。栄養豊富でプランクトンが体内に脂質を貯め込むような状況では、Pを多く取り込んでいます。すると、N / P = 8~14 と低下します。また、海水中のN / P 比を調べることにより、その海域の基礎生産が、どの栄養塩成分により制限されうるのかを推測することができます。このように、植物プランクトンによるN と P の取り込み比率、海水からNとPの除去比率がレッドフィールド比(16)からずれる様子を捉えて、その要因を海洋生態や水の循環と関連付けて解釈するのが、海洋化学の面白いところです。
つぎのページでは、基礎生産によるC、N、Pの取り込み、有機物の分解と栄養塩再生、有機物の沈降除去までを時間軸を設定して基礎生産モデルを計算する課題を提示します。