ここで、酸素消費量という言葉の定義についてもう少し厳密に説明しなくてはなりません。先に求めた“酸素消費量”とは、ある水塊が大気と接触を断ってからの“みかけの酸素消費量”のことです。
なぜ “みかけ” なのでしょうか?
例えば、表面にあった水が亜表層まで潜り込んだとします。亜表層にはクロロフィル濃度の極大(sub-surface chlorophyll maximum: SCM)が見られるように植物プランクトンが高密度に存在することがしばしばあります。
大気との接触を断った亜表層にも微弱な光が届いており、光合成により酸素が生産されているのです。したがって、先に求めた“酸素消費量”には、呼吸による消費と光合成による生成の両方が含まれているのです。つまり【みかけの酸素消費量】とは、【呼吸により消費された酸素量】から【光合成により生産された酸素量】を差し引いた量となります。ここで、みかけの酸素消費量のことをApparent Oxygen Utilization (AOU)と呼び、以下の式で表されます。
[みかけの酸素消費量;AOU] = [O2]0 - [O2測定値]
[O2測定値] は、ある水深の水を採取して、その水の溶存酸素濃度の測定値です。 [O2]0 は、その水が海表面にあったときの酸素濃度の初期値を表します。
海洋内部では、海水の温度はほとんど変わりません。その海水が沈み込んだとき(海表面にあったとき)から現在(観測時)まで温度が保存されていると考えられます。表面にあったときの水温がT℃であれば、その水が沈み込んでからは温度がかわりません。温度が一定なので酸素飽和濃度の計算結果は変わりません。観測したときの水温Tを酸素飽和濃度の式に代入して、 [O2]0 を求めます。深層水を採取すれば、通常、AOUは正の値をとります。太陽光が全く届かない中深層では光合成は起こりえないので、海水中の酸素は消費される一方だからです。いっぽう、有光層の水では、光合成により酸素生産が活発なため、AOUが負の値をとることもあります。
酸素濃度とAOUの鉛直分布について図で説明しましょう。下の図は、表層混合層の海水と大気の間で酸素が平衡に達しているケースです。ただし、海水中では生物作用がなく、酸素の発生や消費は考慮しません。深層水が形成されるエリア(北大西洋高緯度)は寒冷で、表面海水が1.5℃まで冷やされてから、深層に沈み込みます。水温1.5℃の海水の酸素飽和濃度を計算すると341 μmol/Lとなります。
この深層水が、1000年以上をかけて北太平洋中緯度まで運ばれてきます。生物の作用が無ければ、その深層水(1.5℃)のO2濃度は初期の酸素飽和濃度(341 μmol/L)のままです。いっぽう、深層循環の終着に近い北太平洋中緯度の表層は温暖で、水温20℃の表層混合層の酸素飽和濃度は234 μmol/Lと計算されます。北太平洋中緯度の酸素飽和濃度を鉛直分布に記せば、下の右図のようになります。
上の図では、酸素飽和濃度を、【O2初期】と記しています。酸素飽和濃度は、その水深の水温(と塩分)から計算されます。
「海水中の溶存酸素の鉛直分布が決まる要因」
つぎに、水中でバクテリアによる有機物分解、つまり酸素消費があるケースで溶存酸素の鉛直分布の変化を考えます。
北大西洋高緯度域で沈み込んだ深層水(1.5℃)は、深層循環により北太平洋中緯度まで運ばれます。その途中での有機物分解と酸素消費、酸素濃度の変化を下の左絵で表しました。そして、深層循環の終点に近い北太平洋中緯度での酸素濃度の鉛直分布を下の右図で表しました。以下、順を追って説明します。
- 北大西洋高緯度域(深層水形成エリア)では、冬場に水温が1.5℃まで低下します。その低水温の水は多くの酸素を溶かし込むことができます。大気と平衡状態に達すると、その酸素飽和濃度は 341 μmol/Lになります。
- この水が深層まで潜り込みます。潜り込む途中で溶存有機物や粒子状有機物の分解により酸素が消費されます。初期濃度(水温1.5℃の飽和濃度)が341 mmol/Lだったのが、深層に至るときには 300 μmol/L まで低下しました。
- この北大西洋深層水は1000年以上をかけて、北太平洋の中緯度までやってきます。水温は、1000年変わらず1.5℃のままです。深層水が移動する間に、含まれている有機物が分解して、徐々に酸素濃度が低下します。(300 → 250 → 151 → 119 μmol/L)
- 北太平洋中緯度の深層水中の酸素濃度は 119 μmol/Lまで低下しました。いっぽう、同海域の表層水は暖かく、水温は20℃です。表層水は大気と接触しているので、表層水中の酸素濃度は飽和濃度に等しいです。水温20℃の酸素飽和濃度は、234 μmol/L です。
- 北太平洋中緯度で海洋観測を行い、酸素濃度の鉛直分布を得たら、下の右図の黒太線のようになりました。下右図の灰中太線で示したのが、水温から計算される酸素飽和濃度です。
- 北太平洋中緯度の酸素の鉛直分布で特徴的なのは、中層水と記された水深帯(1000 m付近)で、酸素濃度が大きく落ち込んで極小が見られることです。この酸素極小を形作る主な理由を下に説明します。
- 表層で生産された粒子状有機炭素(POC)は海水中を沈降するのですが、フワフワしたマリンスノーの粒子密度は海水密度に近いので、密度躍層を超えられません。その結果、POCの大部分は深層水上部の密度躍層で分解されてしまい、密度躍層750m付近で酸素消費量が一番多くなります。同じ理由で、密度躍層内の水深(750-1000m)の酸素濃度が最も低く、下右図のような酸素極小層がみられます。みかけの酸素消費量(AOU)は、上右図の矢印(← 酸素消費量)の長さに相当します。表層ではAOUがゼロ、酸素極小層でAOUが最大になります。ただし、表層では、光合成により酸素が発生するので、AOUがマイナスの値をとることもあります。
これは、太平洋や大西洋で見られる酸素分布の平均像を説明したものです。個別の海域全てに当てはまるわけではありません。たとえば、日本列島に近い西部北太平洋の水深750 m付近は、周辺海域で沈み込んだばかりの水が水平的に広がっています。したがって、西部北太平洋の750mの酸素濃度は、北太平洋全域平均に比べると特異的に高くなっています(海洋の酸素の水平分布で説明します)。