筆者は北海道大学水産学部漁業学科の4 年生だった1987 年に,卒業研究として「噴火湾のスケトウダラ・マダラ未成魚の食性の比較」に取り組んだ(本章の陸奥湾ではなく,噴火湾での研究)。10 月10 日から12 月24 日は練習船「おしょろ丸」のインド洋マグロ延縄(はえなわ)実習があったので,他の学生に遅れて,年が明けてからようやく2 回目の卒論の中間発表報告会に臨んだ(1 回目は乗船前に,餌プランクトンの空間分布を発表してクリア済み)。
海底に生息するスケトウダラ稚魚(0 歳魚)や幼魚(1 歳魚)は,かいあし類やクラゲノミ亜目,ツノナシオキアミを中心としたプランクトン食者だったこと,マダラはエビ類や小型底生甲殻類,小型魚類,二枚貝類,多毛類などのベントス食で,消化に時間がかかるためか,マダラのほうが幽門垂の数が多く,消化管も長いことを報告した。しかし,指導教員だった前田辰昭教授(その後,名誉教授)にダメ出しされた。とくに痛かった指摘は,「そもそも分布域があまり重なっていないのに(スケトウダラ幼魚は噴火湾内と湾外に広く分布するが,マダラ幼魚は噴火湾内には生息せず,湾外の水深100m 前後にだけ分布していた),今回のデータは違う場所で採集した両種の食性を比べていて,食性の違いは餌環境の違いを反映しているかもしれないじゃないか。同じ場所の曳網で採集されたもの同士を比較しなくちゃだめだね」だった。的を射た意見で,同じ曳網で獲れた両種の数は少なく,手持ちの資料ではこれ以上は比較できない状態だったから反論できず,一撃で斃(たお)された。結局,卒論は「噴火湾のスケトウダラ未成魚の分布」への変更を勧められ,承諾した。悔しかった。マダラのデータはお蔵入りした。
筆者は砲手になりたかったので,卒業後1 年間,特設専攻科に進学し,筆記・口述試験に合格して3 級海技士(航海)の資格を得た(現在の北大には専攻科はない)。しかし当時,日本の捕鯨業は縮小傾向だったため,新入社員の募集はなかった。そこで大学院に進学して,少しでも調査捕鯨の役に立つかもしれないスキルを強化し,募集再開を待つことにした。
前田教授は捕鯨船やサケマス船団への乗船経験が豊富だったため,中退して就職する可能性もあることを承知で,大学院に受け入れてくれた。そして専攻科の練習船「北星丸」の南方航海(太平洋亜熱帯域でのマグロ延縄実習とイカ類の流し網実習)を1989 年2 月28 日に下船して,翌3 月1 日には調査船「うしお丸」(現在は練習船)で「陸奥湾のマダラの初期生活史に関する研究」を開始した。心のなかでは,1 日くらい休ませてくださいと思いつつも,卒論で中途半端に終わったマダラに雪辱を果たすときが来たと思った。