貝殻がなければ奪えばいいじゃない。イギリスのヤドカリも(Elwood et al. 2006),イタリアのヤドカリも(Gherardi and Tiedemann 2004),パナマのヤドカリも(Abrams 1981),エジプトのヤドカリも(Ismail 2012),日本のヤドカリも貝殻をめぐって争う(Imazu and Asakura 2006 は5種ものヤドカリの貝殻闘争を報告している)。今日も世界のあちこちで,貝殻を奪おうとするアタッカーが,自分の貝殻を相手であるディフェンダーの貝殻にぶつける shell rapping を繰り返している。1回の連続した rapping は「カカカカカカ……」と聞こえるほどリズミカルである。
では,大量のキャッツアイと共に暮らすニュージーランドのヤドカリたちはどうだろうか。採集してきた個体を実験所の大型水槽に入れておいた。少し経つと,なんとなく音が聞こえる。どうやら貝殻闘争が始まったらしい。そこには,かつん,かつ,ん,……かつ,とでもいうような,攻撃なのか疑わしいほど緩い shell rapping があった。イメージとだいぶ違う。さらに,shell rapping の合間に見られる,攻撃個体が相手の貝殻に自分の貝殻をこすりつける行動(spasmodic shaking)ものったりしている。「ええと,どうすればいいんだっけ,たしか,じぶんのかいがらを,あいてにぶつけて,……あれ,こするんだったかなあ……」という声が聞こえてきそうだ。当事者たちはまじめに闘っていたのかもしれないが,素早い shell rapping を駆使する日本のヤドカリに慣れた身からすると,思わず「がんばれー」と応援したくなるような微笑ましいやり取りであった。スローテンポな貝殻闘争は数十分続いたが,攻撃個体があきらめて相手の貝殻を手放し,終了した。
彼らの拙い貝殻闘争は,豊富な貝殻資源の裏返しであるように思える。磯場では,空の貝殻も割と見つかった。つまりこの場所は,世界の常識とは正反対の,空き家天国だったと考えられる。そうであれば,コストや時間をかけてまで誰かから貝殻を奪う必要性は低く,誰かから貝殻を奪う必要のないヤドカリだらけであれば,貝殻闘争自体がめったに起こらなくなるはずだ。貝殻闘争が頻発する種では,その “スキル” が取りざたされることもあるが(Briffa and Fortescue 2017),少なくとも Kaikoura のヤドカリたちにとって,闘争をうまくこなす能力はあまり重要ではないようだ。住宅難から解放されたヤドカリたちは “貝殻闘争ベタ” になるのかもしれない。