ヤドカリにおいて,ハサミがオス間闘争上の武器か? という実に基本的なテーマが未開拓だった最大の理由は,ヤドカリが相手の貝殻を奪う「貝殻闘争 shell fight」を行うことにある。ヤドカリたちは野外で適した貝殻が見つからないと,追いはぎの如く他のヤドカリを攻撃し,その貝殻を奪おうとするのである。ヤドカリの行動生態学史における,ハサミの武器としての機能とは,すなわち貝殻闘争での有用性であった。貝殻闘争では,直接的な攻撃を始める前のディスプレイ(Elwood et al. 2006:図4.2a)や,降参して貝殻から出てくる相手をつかんで引っ張り上げる際などにハサミが使われる(Imafuku1989:図4.2b)。そのため,ハサミを開閉できないようにテープでぐるぐる巻きにされたり,大鋏脚を再生中あるいは欠損中の個体は貝殻闘争の勝率が低下する(Neil 1985;Imafuku 1989)。

図4.2 貝殻闘争における大鋏脚の使用例。(a) ハサミの甲を相手に示すcheliped presentation と (上)、ハサミを相手に突き出す cheliped extension (下)(Imazu and Asakura 2006)。(b) アタッカー (手前) がディフェンダー (奥) をつかんで貝殻から引っ張り出す様子 (Imafuku 1989)。
ヤドカリでは,貝殻闘争という特異性によって,多くの生き物で普遍的に見られる「メスをめぐるオス同士の争い」がその陰に隠れてしまっていたようだ。また,数少ないヤドカリのオス間闘争研究も大型オスやガードオスの有利性に着目し(Contreras-Gardu˜no and C´ordoba-Aguilar 2006),武器の重要性については言及すらまれだった(Asakura 1987)。なお,ガードオスが単独オスよりも有利なのは,単独オスがガードオスからメスを奪う必要があるのに対し,ガードオスは単独オスから逃げ続ければいいからなのかもしれない。S 君のヨモギ実験でも,相手よりも大型のオスやガードオスは,小型オスや単独オスよりも勝率が高かった(Yasuda et al. 2011)。